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送り手の思いが伝わる上質な1冊。<上林暁>を知っていますか?

2011.08.30

送り手の思いが伝わる上質な1冊。
<上林暁>を知っていますか?

kanbayashi[1].jpg

 上林暁と書いて「かんばやしあかつき」と読む。はずかしながら、この作家のことはまるで知らなかった。完全な「ジャケ買い」である。
 だって見てください、この端正な美しさを。
 平積みしてある時から、そこだけ異彩を放っている感じがした。
 山吹色の背表紙は布張り。継ぎ表紙で、タイトルも銀色の箔をうってある。
 寡黙ながら風格がある面構え。これって新刊よね......思わず奥付を確認してしまった。
 そんなわけで『星を撒いた街』は、なんの予備知識もなく、読んだ。
 これがよかった。

 短編集。7編が収められている。
 最初の1篇『花の精』は、月見草の太い幹が手違いで植木屋に無残にねじ切られた場面から始まる。庭のあやめの見栄えをよくするために気の利いたことをしたつもりの植木屋に、主人公の<私>は、内心の口惜しさをぶつけられずにいる。
 <私>にとっては、あやめなんかより、雑草に見えるその月見草こそが大事だったのだ。
 半年ばかり前から、妻が精神を病んで入院してしまった。<私>は妹に3人の子どもたちの世話をさせながら寂しい生活を送っている。いや、さかのぼれば、妻がまだ元気だった2年前、創作と生活に行き詰っていた頃から<私>の心の拠り所は月見草だった。

<夕方、花が咲く頃になると、私は蕾に顔を近づけて眺めていた。見る見る蕾がふくらんで、やがて蕾を包んでいた萼(がく)がはねかえり、花弁のひとつが弾け、瞬く間に完全 に開花するのであった。その時くらい、植物の成長力を肉眼で見たような気持ちになるこ とはなかった。>

 目をみはる、では足りない。
 植物の生命力にすがりつくように吸い寄せられている<私>の心境が実に鮮やかに伝わってくる。と同時に、こんなにも思い入れるなんて、よほど元気がないこともわかる。
 ルピナス、金魚草、白粉花に孔雀草、コスモス、松葉牡丹......実際<私>は妻の不在のさびしさを埋めるかのように、さまざまな植物を買い求めては庭一面を満たそうとする。
 婚家から出戻ってきた妹も、庭に小さな畑をこしらえて黙々と耕すことで内心の忸怩たる思いを慰め、まぎらわそうとしている。

 上林暁が繰り返し描くのは、そんなどこにも行けぬ袋小路にたたされた人の思いだ。

 生きていれば、解決の見通しが立たない事態に直面することがある。つらい。しかし、植物の変わらぬ営みに初めて気づき、ハッと胸打たれるのはそんな時だ。苦境に立たされて初めて知る、そんな美しさもあるのだ。<私>にとっては、月見草がそれだったのだろう。<私>がどんなふうに月見草と再会を果たすのかは、ぜひ、読んでみてほしい。
 そして出来るなら<私>と一緒に、しばし、そこにたたずんでみてほしい。
 こういう瞬間を、私も知っていると思った。
 希望の見えない毎日に疲れ切って、もう1歩も歩けないと思ったその時に、何の前触れもなく僥倖としか思えない一瞬が訪れる。突然目の前が開けて、ああ、この世はこんなにきれいだったのかと思う。

 表題作の『星を撒いた街』もよかった。坂の上にあるその家からは一面に星を撒いたような街の灯が見える。しかし実際にそこで暮らしているのは印刷所で働く貧しい人々だ。ここでもまた、生きていくことのどうにもならない重さが、目を見張るほどの美しさに転換する瞬間が鮮やかに描き出される。ただ、きれいだと思って眺めていた景色の深い意味を知る。それが若い頃の恋とも言えない思い出と二重写しになるところが、また、なんとも、せつなくていい。
 この短編集を1篇、また1篇と読み進むうちに、月見草という花がいかにもこの作家にふさわしいものに感じられた。昼間はただの雑草にしか見えず、夕闇迫る頃、そっと弾けるように咲く小さな黄色い花。これが百合やバラでは仰々しすぎる。さびしさの底にいる<私>が思いを寄せるには、野の花のようなささやかさと生命力を持つ月見草こそがふさわしい。背表紙の山吹色は、言うまでもなく、月見草の花の色なのだろう。

 作家について少し補足しておくと、上田暁(1902~1980)は昭和を代表する私小説家のひとり。精神を病んだ妻のことを描いた「病妻もの」がよく知られていて、この選集にも『病める魂』と『晩春日記』の2編が収録されている。<病妻もの>で<私小説>。これはへたに予備知識があったら、うっかり敬遠してしまったかも知れない。読み終えた今となっては、むしろ、苦境にあっても、なお、失われない透明感がたまらない魅力だと思う。
 調べてみると、この本が、この作家を心から大切に思う人たちの手で送り出されたことがわかった。
 出版元は夏葉社。公式サイトを拝見すると、編集者の島田潤一郎氏が本当にいい本、長く読み継がれる本をつくるために、たったひとりで起こした出版社だという。これまでに刊行したラインナップがまた玄人好み。
 1冊めがバーナード・マラマッド『レンブラントの帽子』。2冊めが関口良雄の『昔日の客』。そして3冊めがこの『星を撒いた街』。
 知る人ぞ知る作家ばかりである。それなのに、どの本も「読んでみたい」と思わせるたたずまいがある。しかも、ちゃんと売れているらしい。いい話だ。活字離れだ、出版不況だと言うけれど、本好きは本物のいい本が出れば、ちゃんとわかるのである。
 撰者の山本善行氏は京都の古書店「善行堂」の店主。メールマガジンに、こんな一文が あった。
<上林暁は、私が三十年ぐらい愛読してきた敬愛する作家で、つらいときや心滅びる 日には、その作品で、私を力づけてくれた恩人である>
 こういう人たちが思いをこめてつくった1冊。
 真っ当な本である。真っ向勝負で余分なもののない、本らしい本だ。
 本とは本来こういうものだよ。そんな気持ちで、読み終えた。


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2011.08.30  |  CULTURE