2012.01.26
一瞬のひらめきを香りに宿す
エルメスの調香師の日記

著者で、2004年にエルメスの専任調香師に就任したジャン=クロード・エレナは自らの仕事を<香りの文筆家>であると語る。
エルメスの「テール・ドゥ・エルメス」、「ナイルの庭」「地中海の庭」「屋根の上の庭」などの庭シリーズのほか、ヴァンクリーフ=アーベルの「ファースト」やブルガリの「オ・パフメ・オーティヴェール」なども彼の作品だという。
ひょっとしたら、ブランドが違っても、好きな香水は実は同じ調香師が手掛けていたということもあるかも知れない。
ブルガリの「ブルガリ・プールオム」やイッセイの「ロー・ド・イッセイ」などを手掛けたジャック・キャバリエ。ランコムの「トレゾァ」やカルバン・クラインの「エタニティ」などを手掛けたソフィア・グロスマン。シャネルの「ココ」「アリュール」「エゴイスト」などを手掛けたジャック・ボルジュ。
調べてみると、この3人を世界三大調香師と呼ぶらしい。
ひとつの名香が誕生するまでには、彼ら一握りの天才たちがその才能と個性をあますところなく注ぎ込む。日本でも人気の高い数々のヒット作を生み出したジャン=クロード・エレナは、彼らに匹敵する存在であり、この本では、世界的な調香師がいかにして究極の香りを生み出すのか、その日常を垣間見ることができる。
<たとえば、ブルガリの「オ・パフメ オーティヴェール」は、緑茶の香水という名前どおり、誰もがわかるグリーンティの香りがするが、緑茶の成分は全然含まれていない。トップにグリーンマンゴーが香る「ナイルの庭」にしても、マンゴーが入ってるわけではないし、「テール ドゥ エルメス」は火打石の匂いがするが、実際にそれを使っているわけではない。だが、それらのフレグランスを嗅いだ人は、そういう匂いがする<錯覚>を起こしている>。
そんな魔術的な瞬間をつくりだすために、彼は愛用のモレスキンの手帳を携え、南仏のグラースに構えたアトリエから、いくたびも街に出る。新しい香りのひらめきは、ラボに引きこもっている時ではなく、たとえば週末、イタリアの国境の街ヴィンティミリアの市場で冬の洋梨の香りを嗅いだ時にやってくる。
<私は、わくわくしながら、その匂いを盗みとろうとした。香料の名前、印象から得た香調など、感じるままに手帳に書きつけていく。処方の第一段階である。細かなことまで書かなくても、記憶がそれを補ってくれる。香りのかたちはラボで組み立てていく。香りのかたちといっても、自分が嗅いだ匂いのコピーではない。記憶に刻んだ匂いのイメージである。テーマにしたい<匂いとの出会い>があると、これまでの疲れなどなんのその、私は俄然元気になってしまう>。
そんなふうにして、彼はさまざまな<匂いの錯覚>をノートにスケッチしていく。
<フェミルエチルアルコールとヘリオトロピンの二つで、咲きはじめの白いライラックの 匂いになる。満開の状態を表現する場合には、インドールを加える。紫のライラックだったら、クローブ油を少々>。
レシピというより、それはさながら精密に解析された数式、あるいは限られた者だけが知る錬金術のようである。絶対音感を持つ人には工事現場の音でさえ音階を持って聞こえてくるというけれど、訓練された鋭すぎる嗅覚を持つこの人には、日常はさまざまな匂いに置き換え可能であり、その驚くべき精密さには、しばしば、あっけにとられてしまう。
ある日、彼はスイトピーを注文する。キャンディカラーの色鮮やかなスイトピーが届く、でも彼は匂いは白いスイトピーの方が素晴らしいのに、と思う。
スイトピーの色によって香りも違うなんて思ってもみなかった。いや、それどころか、バラならともかく、はて、スイトピーってどんな香りだったかしらと思う始末である。
<はっきりと特定できる匂いではなく、ローズ、オレンジフラワー、カーネーションのあいだをゆらめいているような、バニラ調の芳香がある>
ちょうど日本でも花屋の店頭にスイトピーが並んでいる季節。これを読んで、つい、くんくん嗅ぎまわってしまった。とらえがたいあいまいな香りも、言葉を与えられることで、その輪郭をぐっと引き寄せて意識できるようになる。
この本が興味深いのは、この人が<香り>というものを知り抜いているだけでなく、それを語る様々な言葉を持っているからで、なるほど、自らを<香りの文筆家>と称するだけのことはある。
エルメスの「地中海の庭」を手掛けた時は、エルメスのウインドウディスプレイヤーであるレイラ・マンシャリの、チュニジアにある庭を訪ねた。
長い小径に木陰をつくるシダー、ユーカリ、パームツリー。五感を攻めたててくるようなイチジク、シーリリーの匂い。ラボで想像していたのとはまったく違っていたこの時の圧倒的な体験は、彼の処方を知るための一例になっている。
彼の父親もまた調香師だった。16歳でグラースのアントワーヌ・シリス工房に入る。
師事したのはエドモンド・ルドニッカ。ディオールの名香「ディオリッシモ」を生み出した人物だ。1951年にエルメスの名香「オー ドゥ エルメス」を手掛けたルドニッカは、その5年後、「ディオリッシモ」を生み出す。ジャン=クロード・エレナに言わせれば、それは複雑で入り組んだ香りから原型となるスズランの香りだけを見事に取り出してみせたということになる。70年代にヴァンクリフ&アーベルの「ファースト」を手掛け、2005年にエルメスの「ナイルの庭」を手掛けたジャン=クロード・エレナ自身も、やはり、よりミニマルな表現へと作風を変化させていった。イリスイケバナ、イリスウキヨエという名前の香水も手掛けた彼は大の日本びいきでもあり「使い手が自由に想像する余白を残しておきたい」という独自の作風にはこの点も大いに反映しているに違いない。
著者のアトリエのあるグラースで思いだしたのは、あの映画にもなったパトリック・ジュースキントの小説『香水 ある人殺しの物語』のことだ。人並み外れた嗅覚を持って生まれた主人公は、やがて天才調香師となり、究極の香りを生み出すために恐るべき犯罪を繰り返す。あの一級のピカレスク小説の舞台となったのも、南仏の香水の街グラースであり、あの小説は悪臭渦巻く18世紀のフランスで、いかにして香水が文化として洗練されていったかをひもとく歴史小説の一面も持っていた。
かたや『調香師日記』では、彼が調香師となった50年代~現在まで香水をとりまく状況がどのように変化したかにも触れられている。
奇しくも、小説『香水』の主人公は言った。見たくないなら目をふさげばいい、聞きたくないなら耳をふさげばいい、しかし嗅覚はそうはいかない、それは呼吸に関わっているからと。匂いは、記憶と深く結びついている。ほんの一滴の中に、そこにいたるまでの文化、長い歴史が潜んでいる。本書でジャン=クロード・エレナも言う。
<そう、私はちょっと口にするのがはばかられるような匂い、ほかの人だったら考えただけでも眉をひそめ、さらには迷惑がるような匂いが好きなのである。調香の仕事でも、それらの匂いを楽しみ、使用している。バーチタール、カストリウム、シダーウッドアトラス、シベット、クミン、インドール、ジャスミン、ラブダナム、オークモス、クラリセージ、スカトール。どれもが私たちの体臭をどこか誇張したような、あるいは体のどこかに隠し持っているような香気の抽出物や成分である。
ヴァンクリーフ&アーベルのファーストからエルメスの「ヴォヤージュ・ドゥ エルメス」まで、自分が手掛けたすべての香水に、私はこれらの匂いをさりげなく、それとなく 使うことで、喜びを引き立てるようにした。その喜びは私たちにとっては身近なものである。なぜなら、それが私たち自身の匂いなのであるから>。
現代の天才調香師もまた、究極はその人自身の匂いだと言及してるところが面白い。
香水とは、長い歴史の集積でもあるひとしずくと使い手が交差した時に生まれる、ひとつの物語でもあるのだろう。その奥深さに触れるのに、うってつけの1冊だと思う。
2012.01.26 | CULTURE
瀧晴巳
フリーライター
インタビュー・書評を中心に執筆。
西原理恵子著「この世でいちばん大事なカネの話」、
吉本隆明著「十五歳の寺子屋 ひとり」では構成
を担当。