2012.02.21
あのソンタグが若き日にこんな面白い小説を書いていたなんて!
![20581[2].jpg](http://column.madamefigaro.jp/20581%5B2%5D.jpg)
しかも小説なんですね、これが。
2004年に亡くなるまでラディカルな批評家であり続けたソンタグのデビュー作が、批評でもエッセイでもなく、小説だったことにまず驚いてしまう。
もちろん、本作をソンタグの他の著作と関連づけて"あの偉大な批評家の原点″として読み解くことも出来るのかも知れないが、〝あのソンタグの・・・"と身構える気持ちをひとまず横に置くと、イントロこそかなり観念的だけれど、読み進むに連れて、これが意外な面白さだった。
夢と現実が拮抗しながら二転三転する展開は、それこそ『メメント』とか『インセプション』を撮ったクリストファー・ノーラン監督あたりに映画化してもらったら面白そう!......なんてことを思ってしまったくらい。
舞台は60年代のパリとおぼしき街――。
主人公のイポリットは裕福な家に生まれた頭でっかちなお坊ちゃん。
若く夢見がちな青年が陥りがちな<自分探し>の堂々巡りの真っただ中。
スノッブな文化人たちが集うアンダース夫妻が主宰するサロンに出入りするようになると、勢いで大学は中退。ひたすら読書と思索に耽溺する高等遊民のような生活を送るようになる。
イポリットはある日、とても印象的な夢を見た。
小さなドアがあるだけで窓のない細長い部屋。フルートを持っている黒い水着の男に「この部屋では彼は踊るのだ」と言われる。ああでもない、こうでもないと理屈を並べるばかりで踊ろうとしないイポリットは「彼は踊るチャンスを逃した」と言われ、部屋から出ることができない。
次に目を開けた時に部屋にいたのは白い水着を着た女性。
自意識にがんじがらめのイポリットは、彼女の挑発にもうまく乗ることができず、ここでも平手打ちをくらう。
この夢が契機となり、イポリットは自分の見た夢を解釈することにとり憑かれていく。
サロンで知り合った元拳闘家でゲイの小説家ジャン=ジャックの存在がそれに拍車をかける。お堅いイポリットには彼のような破天荒な生活に身をやつす度胸はない。夢の解釈は、そんなイポリットが自分の殻を破る唯一の突破口に思われた。
いつしかイポリットは夢を読み解いた結果を実人生に反映させようとするようになる。あろうことか、性的な夢を実践すべく、アンダース夫人を誘惑し、愛人となり、駆け落ちし、挙句、とんでもないやり方で捨て去ろうとするのである。
自己中なイポリットに振り回されるアンダース夫人こそいい迷惑だが、小説はここから加速度的にがぜん面白くなる。
言うなれば、イポリットは夢というバーチャルな世界観をそのまんま、現実で実践しようとしているアナーキーな夢オタク。しかし、生身の現実=アンダース夫人は、たとえイポリットが「僕の夢に協力してほしい」とお願いしようとも、イポリットの頭でっかちな解釈から常にはみだしてしまう。
サロンのしとやかな女主人だったアンダース夫人が、イポリットに翻弄されるうち、どんどん、別人格に目覚めていく過程は「次が一体どんなキャラ?」と思ってしまうほど。メロドラマチックに性愛に溺れたかと思えば、怪しげなベールに包まれた亡霊さながらの姿でイポリットの前に現れたりして、思いがけない結末はいっそ痛快。女というものは、いつだって目の前の現実を生きるものだと思わされる。
かたや、イポリットは脳内の妄想が肥大するにつれ、破滅していく。
この小説が刊行された1963年当時、フロイトの精神分析が世界を席巻していたという。あの有名なエッセイ「キャンプについて」(『反解釈』所収)が発表される前夜でもあった。
当時と今との共通点をひとつ挙げるとすれば、スピリチュアルなものをどう解釈するかということに人々が深い関心を持っているということがある。
まだ知らない世界に隠された真実があるのではないか(そしてそれが現実を動かしているのではないか)という視点はいつの時代も私たちを誘惑してやまない。背景に時代の閉塞感があれば、なおさら。しかし、それはともすれば足下をすくわれかねない諸刃の剣でもある。
日本でも昨年刊行され、話題を呼んだスーザン・ソンタグの10代~30代の日記『私は生まれなおしている 日記とノート 1947-1963』は、ちょうどこの小説を書き始めるところで終わっている。ソンタグ自身が筋金入りの文学少女だったこと、パリでボヘミアンな青春を送っていたなど、主人公との共通点も少なくない。また、この日記の中でソンタグはフロイトについて<彼が創始した精神分析は――せいぜい――肉体、本能、ありのままの生に対しての慇懃無礼な科学でしかなかった>と述べている。
何より、この日記からは、知性においては早熟な若きソンタグが、愛情においてはこのうえなく不器用であったことがなまなましく伝わってくる。そして理性と官能、意識と無意識、相反するものの葛藤というテーマはこの小説にも引き継がれている。
果たして私たちはイポリットを愚かだと笑うことが出来るだろうか。
たとえば彼が「夢に出てきたアレはこうで、コレはこうで」といちいち読み解いたようなやり方で、本を読み、映画を観て、音楽を聞いていないだろうか。
ソンタグは言う。芸術を解釈してわかった気になるなんて慇懃無礼なことだ、と。
イポリットも、きっと、ただ本当は感じたかったのだと思う。
でもそれがなぜこんなに難しいのか。
「飛べ!」と言われて飛んだのに転がり落ちていく夢そのままに、彼は転落していく。
ジャン=ジャックは言う。
「なら、姿勢を楽にして踊れよ。お前は自分の姿を見てるだけだし、
それもやり過ぎなほどだ。それはすべての自家撞着の始まりだぜ。
周りを見ろよ。世界は面白い場所だ」
生きている実感をどうやって感じていいかわからない。
迷走するイポリットは非常に今日的な主人公のように思えてならなかった。
2012.02.21 | CULTURE
瀧晴巳
フリーライター
インタビュー・書評を中心に執筆。
西原理恵子著「この世でいちばん大事なカネの話」、
吉本隆明著「十五歳の寺子屋 ひとり」では構成
を担当。