2010.11.11
一枚ずつ捲るように。ロベール・クートラス作品集『僕の夜 Mes Nuits』
歌劇場のバルコニー席? そこに兎の観客がいる。
塔のてっぺんから、舌を出した男が上半身をのぞかせる。
乳房をさらした裸の女。長い髪を逆立てて力なく。--水死体?
ああ、そして闇の中に現れた、女の顔。泣いているのか。
真っ赤な炎。赤ん坊を抱いた母親が、笑みを浮かべて焼かれている。
点の連なり。赤だったり黄だったり。流れたり、止まったり、浮かんだり、消えたり。
砂時計。それは時のいれもの。
人の顔をした太陽と月。
悪魔が酒を呑む。
魚に食べられた人がいる。
絞首台で首をくくられた人がいる。
さらしものにされた男は舌を出したまま太陽にあぶられ。
骸骨はマントを着て笑っている--。

カルト(carte)。それはフランス語で、日本語の札、カードをさす。
大きさは縦12cm、横6cm。
手にすると、見た目の印象よりはるかに軽い。ありあわせの厚紙が材料なのだ。
〈カルトの作り方〉
「靴の入った函、ボール紙、ポスターの裏...、拾ってきたものや、ありあわせのものに、黒、または"夜のブルー"と呼んでいた深みのあるブルーを下地に縫って貧しいキャンバスとして、そこにさまざまな絵を描いた」(作品集『僕の夜』より)
モティーフは、先に書いたようにさまざま。タロットカードや、トランプの図柄にも見える。
描いたのは、フランス人画家、ロベール・クートラス。
一般には、まだ知られていない。クートラス自身が、知られたいと思わず、積極的に知られようとも、おそらく思っていなかった。彼はひたすら、カルトを作り続けた。一日一枚と決めて。1985年、55歳の年に死に、残されたカルトは約6000枚。
クートラスはカルトを、"僕の夜(Mes nuits)"と呼んだ。
いや--、待ってほしい。カルトをそう呼んだという言い方は、正しくないかもしれない。"僕の夜"とは、カルトに描いた、絵のテーマかもしれない。彼自身の心情、精神が、小さなキャンバスに表わされ、それが"僕の夜"なのかもしれない。いや、やはり、小さな札が"僕の夜"だから、いろいろなテーマ、モティーフが現われる、"僕の昼"なら現れない、だからカルトそのものが、"僕の夜"?
〈Mes Nuitsについて〉
「晩年、クートラスは"僕の中で、黒い獣が蠢いて、苦しい"と洩らしていたというが、その黒い獣とは、いったい何だったのか? 制作したカルトについてクートラスは、Mes Nuits(僕の夜)と名を付けて、いつ果てるともない連作、明けることなき夜であることを仄めかしている」(作品集『僕の夜』より)

画家は画家であって、それ以外の何者でもなくていい。彼や彼女がどんな生き方をしようと、他人には関係なく、本人もまた関わってほしくないだろう。
クートラスは、20代の終わりにいくつかの絵画賞の候補となり、実際に受賞をし、パリの画廊と契約することができた。"最後の印象派"あるいは"現代のユトリロ"と呼ばれたという。華々しく聞こえるが、約2年後、彼は自ら契約を解く。それは収入の確保されない道を選ぶことだった。さらに40歳に近くなって、別の画廊と契約したが、またもや契約を解除。こうなると徹底している。描きたいもの以外、描きたくなかったのだろう。不器用だし、正直だし、純粋といえばいえるが、損な性分といわれても仕方がない。しかし、それがクートラスだった。
彼が抱いていたのは、自分以外の人やもの、仕組みに対する違和感ではなかったか。
違和感--。それを持てる者だけが、芸術家の名に値する。
この秋、カルトを主に、油彩画やドローイングなどをあわせたクートラスの展覧会が、都内3か所で開かれた。六本木のGallery SU、表参道に近いCOW BOOKS 南青山、そして京橋のPOSTALCO。三か所を巡ることで、クートラスという存在が身近になった。2011年には、1月に京都の恵文社一乗寺店、5月に松本のLABOR ATORIOへ巡回するという。
会場に行けば、クートラスに会える。作品は人。作品に向き合うとは、今はない、クートラス本人に会うこと。展示会が開かれること自体、クートラスが認められている証拠だ。しかし生前は、彼自身が認められることを拒んだのである。知られようがなかった。
Gallery SUは、六本木に遠くない、麻布台の住宅地にあった。秘密めいた小さな洋館を思わせる。ささやかな空間の壁に、棚に、カルトが飾られていた。広々とした、白っぽく無機質なギャラリー空間に、カルトは似合わない。人の体温、人の体臭、人の肌触りを、カルトから感じる。それはもちろんクートラスのもの。
作品集には、アトリエで腰をおろし、にっこり微笑んだクートラスの肖像写真が載っていた。彼の作品にまじって、大小、無数のオブジェが飾られている。広角レンズだから大きさをつかみにくいが、狭いだろうと思う。狭い方がいい。思いを煮詰めた小部屋に、彼は住んでいたはずだ。Gallery SUのような。
COW BOOKS 南青山は、大通りを逸れた場所にある、カフェの一角の古書店。繊細に選ばれた本と本の合間に、クートラスの油彩画とカルトがあった。POSTALCOは、京橋の古いビルに入った文房具店である。並んだ文房具には、選ばれた誇りが感じられる。そこに、クートラスのドローイングとカルトがあった。
クートラスの作品は、飾られる場所を選ぶ。
場所もまた、クートラスの作品を選んでいる。
クートラスの人生を支配したのは、違和感であったろう。
世の中におさまらない自分を感じていた。だから、画廊との契約を解除し、人とは積極的に交わらず、カルトの小さな--しかしそこには無限の広さと深さがある--世界に没頭した。
他人と馴れて、すでにある世のしきたりに自分を添わせていける者は、カルトを作る必要はなく、絵を描く必要もない。音楽でも踊りでも詩でも演劇でも同じだ。芸術で身を立てる? 芸術で世の中に地位を占める? 他人に認めてもらう? 結果としてそれがかなったとしても、初めからそんなこと思わない方がいい。クートラスは、画家てして結果を得たのに、すすんで放棄している。違和感が消えてしまいそうだったのだろう。
他人のために創るのではない。自分のために創るのだ、あくまで。違和感を持っているから、他人と違う、自分だけの世界を生み出せる。世の中にも他人の作品にも違和感を覚えないなら、今までのものでいい。新たな創作は必要ない。
違和感を持つ者は孤独だろう。しかし、孤独もまた楽しい。苦しいが楽しい。パリの狭い部屋で生活も創作も行ったクートラスは、孤独だったろうが、楽しかったと思う。
その楽しみの結果が--孤独の果てに生まれたものではあるが、いや、だからこそ--、カルト"僕の夜"として、私たちを楽しませてくれる。
彼がここにこめた思い。
それを一枚一枚、カルトだからまさに、札をめくるようにして、味わおう。
木部与巴仁
詩人
作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運 営。2012年5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週 刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/