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危険な小説。村上春樹『1Q84』

2009.07.16

危険な小説。村上春樹『1Q84』

 17歳の少女〈ふかえり〉に新人賞をとらせたいと、男たちが小説『空気さなぎ』を作りかえる。ところが『空気さなぎ』は、カルト教団の秘密を世間に公表するものだった。

 一方に、危険な男たちを闇に葬る〈青豆〉という女性がいる。女性に暴力をふるう男は、殺すしかない。〈青豆〉の新たな標的は、カルト教団の教祖だった。

 さらに、〈ふかえり〉には『空気さなぎ』を書き替える存在であり、〈青豆〉には少女時代の忘れられない存在として、〈天吾〉が登場する。聡明でたくましい〈天吾〉は、俗世にまみれない無垢な魂の持ち主だ。

 村上春樹の最新長編『1Q84』は、これら三人の主要人物を軸に展開する。暴力と宗教、性と文学を題材に、作者は思うところをありのまま語ろうとした。この態度は、長編小説の書き手にふさわしい。Book1と2を費やしても、物語は語り切れなかった。続編は、あるだろうか?

1984.jpg村上春樹『1Q84』

 学生時代、私は傲慢なことを思っていた。注目していた、ある作家Aについて。

 書かなければ彼は駄目だ、と。

 若い私の目に、Aは作品が少ないと映った。約30年が経つが、彼は寡作ではなかった。その後、長編、短編とも多くの作品を問い、国際的な文学賞も得て、「書かなければ駄目」などという若者の言葉をたわごとにした。傲慢なことを思った時、Aは次の作品に向かう、谷間の時期にいたのかも知れない。

 現在の私には、今日の村上春樹が、当時のAに相当するようだ。『1Q84』は、2004年の『アフターダーク』から5年を置いて刊行された長編小説である。その前は2002年の『海辺のカフカ』、さらにさかのぼれば1999年の『スプートニクの恋人』となる。4、5年に長編一冊というペースは、せっかちな若者には寡作と映る。

 もちろん、村上はこの間に短編、エッセイ、ノンフィクション、翻訳を手がけた。寡作ではない。しかし彼の心は、ある期間を置かなければ書けない、長編にこそ向かっていると思う。世界を創れるから。世界を切り取ってみせる短編とは違う。村上は、長い時間と大きな空間の上に、世界を創ろうとしている。そして『1Q84』は生まれた。

 思ったことを、率直に書く。これは危険な小説だ。

 少女の未完成な小説を作り替え、新人賞を獲らせて世間の話題にしようとする。ありうる話である。

 少なからぬ数の妻たちが、夫の暴力に苦しめられている。そんな夫は、当然、死ななければならない。

 カルト教団は人々を洗脳し、一方的な価値観で縛っている。しかし、縛られたい人もいる。教祖はそれをわかっている。
 人は、ある時点を境にして、まったく違った世界に向き合う。そこには月が二つある。社会に歯向かうカルト教団がある。読者は、どっちの世界にいる?

 私は読みながら、しばしば肌をめくられ、皮下をじかに触られる思いがした。

 現実は、人々をもっと惨い目に合わせているだろう。声をあげられず死んでゆく人々、死ぬこともできず生き続ける人々がいるだろう。すべてを文学にすることはできない。しかし、そうしたことがあると、想像させることはできる。それが文学の役割だともいえる。村上春樹は、その務めを果たしていると感じさせるから、日本に限らず国際的に受け入れられているに違いない。

 最後に、カルト教団の教祖が、魅力的に描かれていたことに触れよう。

 彼は多くの人々、とりわけ女性たちにとって敵である。少女を性的行為の対象にし、心とからだを傷つける。〈青豆〉は、だからこそ、彼を暗殺しなければと思った。しかし、教祖が〈青豆〉に語って、見せる、その大きな哀しみは、他の誰にも肩代わりできない。

 私は、教祖のモデルの名をあげようとしていない。教祖のような存在も、この世にはあるのだろうといいたい。村上春樹は、間違いなくカルト教団を批判している。その彼ですら、教祖の哀しみを描いた。いや、描いた結果、哀しみがその姿を包みこんでいった。

 文学には、そのような働きがある。書き手の価値観を超えて、描かれた者に存在の意味を与えてしまう。だからこそ、私は『1Q84』を恐ろしいと思った。

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2009.07.16  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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