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私たちには無数の選択肢がある。村上春樹『1Q84 BOOK3〈10月-11月〉』

2010.04.30

私たちには無数の選択肢がある。村上春樹『1Q84 BOOK3〈10月-11月〉』

 村上春樹は、女性と若者に、自分の世界を託す作家だ。彼らを主人公に、彼らの姿を通して物語ろうとする。なぜか? それは、完成することを求める男性優位社会において、女性と若者は、未完成の存在だから。

 未完成でよい。完成したものは、いつか崩れる。時代遅れになる。できたものを守ろうとして権威になる。女性と若者は男性優位社会に属さない、あるいは属せないため、透き通った目で本質を見ることができる。物語の主人公にふさわしいのは、〈完成を拒み透き通った目を持つ者〉である。

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『1Q84 BOOK3〈10月-11月〉』が刊行された。BOOK2から11か月ぶりである。

 BOOK2を読み終えた時、続篇について触れていなかったから、この先はあるのだろうか? なければ物語が成立しないと思った。しかし、11か月が経ってBOOK3は出た。出て当然だった。1と2の表紙に、〈4月-6月〉〈7月-9月〉とある。1Q84年を、季節ごとに描いてゆく構想なのだ。

 BOOK3を開く直前に思ったことは、ふたつ。

〈青豆雅美が世界を移動した理由は明かされるのか?〉
〈青豆はもちろん死んでいるのだろう?〉

 BOOK1の冒頭、青豆が首都高速三号線を走行中のタクシーから降り、さらに非常階段から地上に降り立った時、彼女は違う世界に足を踏み入れていた。1Q84年では、警官が携行する拳銃は回転式ではなく大型オートマチックである。採用されたきっかけは、1984年の世界にはなかった、警察と過激派による銃撃戦が起きたから。さらに、1Q84年には夜空の月がふたつある。

『1Q84』が、想像どおり4冊で構成されるとして、古典的な考えをすれば、BOOK3は起承転結の〈転〉にあたる。物語は、まだ解決しない。BOOK3の役目は、ストーリーを展開させることにある。

 --川奈天吾は、17歳の少女、深田絵里子こと「ふかえり」が書いた小説『空気さなぎ』をリライトする。『空気さなぎ』は評判となるが、天吾の身に危険が迫る。ふかえりは、カルト教団からの脱出者だった。父親の深田保は教団の教祖だ。天吾を狙う者は、教団の関係者らしい。

 青豆は、女性を虐待する男たちの暗殺を請け負っていた。新たな標的は、深田保。彼は教団の少女をレイプしているという。目的を達する青豆だが、深田の存在感は想像と違った。彼は人々の〈声を聴く者〉であり、聴き続けた結果、大きな痛みを抱えていた。深田は死を望む。さらに、青豆が抱く天吾への恋心を知っており、1Q84年の世界で天吾を生かしたければ、青豆が死ぬしかないという。

 BOOK2の終わりに近く、天吾を救うため、青豆は死のうとして拳銃をくわえる。死ななければならなかったし、その一方で、青豆を想う天吾の姿を描いた点に、『1Q84』のドラマ性があった。緊張感があり、美しさもあった。BOOK3を読む前に、私が「青豆はもちろん死んでいるのだろう?」と思った理由である。しかし、青豆は死んでいなかった......。

 村上春樹は自殺を思いとどまらせたのである。判断は措こう。読者は何とでもいえる。青豆を死なせたら物語が続かない。そう思ったのかもしれないが、それでも続けるのが、作者の力ではないか? いや、やはり判断は措く。『1Q84』はまだ完結していない。

 村上春樹は青豆に、女性ならではの、思いもよらない運命を負わせた。それが何か、読者の期待を裏切ってはいけないから、ここでは触れない。ただし、私のもうひとつの疑問、「青豆雅美が世界を移動した理由」が明かされないままであるとはいっておこう。

 パラレル・ワールド。平行世界。一見、同じに見えて実は違う、並行する時空間。

 始めに、〈完成を拒み透き通った目を持つ者〉こそ物語の主人公にふさわしいと書いた。そうなのだが、それだけに彼らは苦難と直面させられる。物語の進行役だから。

 パラレル・ワールド、1Q84年には月がふたつある。月がふたつあることに疑問を抱く者が、1984年から来たのである。青豆と天吾、そしてBOOK3では、牛河という男が加わる。

 牛河は、BOOK1では教団からの使いとして、天吾を脅迫する役割を演じた。透き通った目を持つ者とはとてもいえない。ところが牛河は、教団に属さず、家族からも捨てられた、居場所のない男だった。彼を動かすものは、金でも、教団の命令でもない。彼自身の心だ。ふたつの月を見て、自分がパラレル・ワールドにいると知った時の、牛河の声。

「ここはいったいどういう世界なんだ」
「俺はどのような仕組みの世界に入り込んでしまったのだ?」
「これはもともと俺のいた世界ではない」

 引用した牛河の思いは、青豆の思いであり、青豆と天吾の思いでもあった。

 私たちには無数の選択肢がある。行為としてAの次にBを選ばなければ、CやD、あるいはXやZなどの運命を歩むだろう。通常、世界と世界の交わりはないが、何かの拍子に、青豆、天吾、牛河のように、1984年から1Q84年へ行く者が現われる。

 ここではない平行世界、別の世界があると思えば、世界の絶対性など崩れてしまう。

 2010年が絶対であるなどと、信じている現代人はいないだろう。手にしているもの、生活も人生も安泰だといえる人はいないはずだ。そんな現代人の心理に、『1Q84』は不思議とマッチする。村上春樹が、そのようなことを書こうとしたかどうかはわからない。わからないが、彼もまた現代人だから、透き通った目で世の中を見れば、それは自然と作品に現われるはずだ。

「青豆雅美が世界を移動した理由」を、村上春樹は明かさないかもしれない。BOOK4まで進んでも--。小説表現において、何にでも理由を求めることは正しいといえないだろう。

 1Q84年にいて、ふたつの月を見上げている彼女や彼たちは、どこに行くのか? これから何を見るのか? 今はただ、BOOK4の刊行を待ちたい。

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2010.04.30  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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