2012.02.17
北欧発、今世紀最大の傑作ミステリー
第2部『火と戯れる女』/第3部『眠れる女と狂卓の騎士』


もう十数年前になるが、"そのキーを叩け!"と題する原稿を書いていた。コンピュータに向かい、キーボードを使って原稿を書く、スリリングな味わいを記したかった。
書く内容より書く行為そのものに、ライティングの本質があると思っている。どれだけ深遠なことを書いても、文章がつまらなければ読む気にならない。哲学性は薄くても、文章のおもしろさで読ませる作品があるかもしれない。そのおもしろさを生み出すのは、頭だけではない、全身が一体になった身体行動だ。
ライターの仕事を始めた時は、四百時詰め原稿用紙を使っていた。それが1990年代に入ると、Macintosh(マック)で書くようになる。
「字が汚くて読みづらいので、せめてワードプロセッサーを使ってくれませんか」
「手書きでもワープロ原稿でも、紙でもらうと編集部で打ち直すことになって手間だから、テキストデータで入稿してくれませんか」
「いつまでもワープロを使ってないでマックにしましょう。パソコン通信なら原稿を送るのも簡単ですよ」
そのように編集者に勧められて使っているうち、マックのとりこになっていった。書き手にもいろいろなタイプがあるだろうし、原稿用紙に愛着はあったが、コンピュータとキーボードは私に向いていた。書き直しが自在だから便利だ。思考の過程をそのまま原稿に反映させられる。字の汚なさで他人に迷惑をかけることもない。そして何より、ペンよりキーボードの方がスピード感に富む。原稿の題そのままに、文章を書くなら"そのキーを叩け!"だと思った。
『ミレニアム』のヒロイン、天才ハッカーのリスベット・サランデルに出会い、久々に"そのキーを叩け!"という言葉を思い出した。彼女は常にキーを叩いている。コンピュータの画面を見つめ続けている。生きていくために。世の中と闘うために。
リスベットは、Macintoshのポータブル・タイプを使っている。第一部『ドラゴン・タトゥーの女』に初めて登場するマックは、2002年に発売されたiBook。スティーグ・ラーソンの執筆も、同じ年2002年に始まっている。彼は当時の最新機種を小説に登場させたのだ。
物語の途中で、リスベットはiBookを壊してしまう。買い替える際に選んだのは、発売されたばかりというPowerBookG4だった。1GHzモデルと記されているから、おそらく2003年1月以降のこと。iBookからPowerBookG4へ、原稿の進み具合に応じて登場するマックも変化したわけだ。「まさにノートパソコンのロールスロイスとでも呼ぶべき機種だった」と書かれている。ラーソンもMacintoshの愛用者だったに違いない。
ここまで原作に書かれているから当然だが、第一部を原作にしたスウェーデン映画『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(ニールス・アルデン・オプレヴ監督)にも、折しも公開中のハリウッド映画『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー監督)にも、マックは登場する。それぞれの映画に、撮影時点で最新のMacBook Proが使われた。"そのキーを叩け!"とばかり、存分に活躍してくれている。私などには実に嬉しく、楽しいことである。
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『ミレニアム』三部作に共通するテーマは、第一部『ドラゴン・タトゥーの女』の原題が"女を憎む男たち"であるように、女性差別との闘いだ。さらに大きく、あらゆる自由を抑圧する者たちの実態を描き出してゆく。主人公のふたり、リスベット・サランデルとミカエル・ブルムクヴィストのコンビは、社会派雑誌「EXPO」の編集長として、ゆがんだ社会と闘い続けた作者、スティーグ・ラーソンの分身である。
『ドラゴン・タトゥーの女』は、ある財閥一族に起こった謎の失踪事件と、それに関係してスウェーデン各地に発生した連続猟奇殺人を描く。原因は女性への虐待だった。
警備会社の調査員リスベットは、社会派雑誌「ミレニアム」の経営者兼記者ミカエルに助手として雇われ、難問に立ち向かう。それは、リスベットが受けた人生の傷に通じていた。彼女は殺されなかったが、多くの女性たちは殺された。その怒りを、殺人者にぶつけたのだ。失踪事件が解決された後は、スウェーデン経済界を牛耳る実業家の汚職を、得意のハッキングを利用して暴いた。実業家本人に制裁を加えもした。そして、続く第二部『火と戯れる女』と、第三部『眠れる女と狂卓の騎士』--。
『火と戯れる女』では、リスベットに殺人の嫌疑がかけられる。
ミカエルたちの雑誌「ミレニアム」は、若手ジャーナリストのダグが持ちこんだ、人身売買と強制売春に関するルポルタージュを掲載しようとしていた。そのダグが、恋人のミアとともに射殺される。現場に残された拳銃から、何とリスベットの指紋が検出されるのだ。確かに、リスベットは殺される直前のふたりに会っていた。しかし、犯人は本当にリスベットなのか?
ダグのルポは衝撃的な内容である。少女や若い女性を対象にした性犯罪に、取り締まる側の法務省役員、警察官、弁護士、検事、裁判官、さらにジャーナリストまで関わっていたのだから。ダグとミアは協力して調査を続けて来た。ミアは、犯罪学、ジェンダー学の研究者だ。ふたりは実名をあげて、女性に対する社会悪を告発しようとした。ミカエルたちは原稿を雑誌に載せるだけでなく、単行本にもしようとした。そのような彼らの姿に、社会派雑誌を実際に発行し続けた作者、スティーグ・ラーソンの姿が重なる。言葉のやりとりやディテールが、実に真に迫っている。こればかりは残念ながら、どれほど製作費をかけた映画もかなわない。
警察はリスベットの行方を追うが、まったく手がかりがつかめない。そのうちに別の事件が起こった。凶器とされた拳銃の持ち主が、射殺死体で発見されたのだ。その人物は、リスベットの後見人を務める弁護士だった。読者には明らかだが、第一部『ドラゴン・タトゥーの女』でリスベットを陵辱した男である。彼女から手ひどい制裁を受けたことを逆恨みして、何とか報復できないか考えていたところだった。
警察はリスベットを犯人と決めつけ、マスコミに名前と顔写真を公表する。スウェーデン中のテレビや新聞で報道され、私生活まで暴きたてられて、もはやスウェーデンに隠れ場所はないと思われるほどだった。
もちろん、彼女は犯人ではない。ミカエルも確信していた。妹のアニタにリスベットの弁護士を引き受けてもらい、真犯人を探ってゆく。同時に、ダグとミアの死で暗礁に乗り上げそうになった原稿を、何としても発表しようとした。彼らが調べきれなかった事実を、自分たちが代わって調べる。それがふたりの遺志に報いることだと思ったから。そうするうち、謎めいた人物の名前が浮かびあがってくる。それは、〈ザラ〉。
ダグもその名を口にしていたし、ミカエルのコンピュータに侵入して来たリスベットも、ザラの名を伝える。事件の鍵はザラが握っているに違いない。ダグたちが追っていた人身売買や強制売春にも関わっている。リスベットの身の上にも、ザラは......。
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児童文学には詳しくないのだが、リスベット・サランデルに、スティーグ・ラーソンは"長くつ下のピッピ"の面影を重ねている。船で育ち、馬だって持ち上げる、世界一強い女の子、ピッピ・ロングストルンプ。誰からも愛される、スウェーデン文学が生んだ世界的キャラクターだ。ところが、リスベットはある人物にいう。
「もし誰かがわたしのことを『長くつ下のピッピ』と呼ぶ記事を書いたら、その人は目のまわりにあざを作ることになるでしょう」
実はいわれた側こそ、リスベットがピッピに似ていると思っていたので、この言葉に冷や汗をかくのだ。
またミカエル・ブルムクヴィストには、"名探偵カッレくん"の面影が重ねられた。若いころ、ある殺人事件の犯人をつきとめたことから、ミカエルは"カッレくん"と呼ばれるようになった。カッレくんの苗字もブルムクヴィスト。想像力に富んで正義感にあふれる点も同じだから。しかしミカエルも、カッレくんと呼ばれることにうんざりしていた。
ピッピとカッレくん。どちらの作者もアストリッド・リンドグレーンである。リンドグレーンは、人に対してはもちろん動物に対しても、あらゆる差別と虐待を否定した女性だという。誰の自由も他人は侵害できない。人も動物も最期まで敬われ、命をまっとうする権利を持つ、ということ。日本と日本人はとても彼女の理想に達していない。リンドグレーンの故国スウェーデンは、男女平等は当たり前で、社会福祉も行き届いた国だと思っていた。ところが、スティーグ・ラーソンが『ミレニアム』に書いたように、スウェーデンにも女性差別と虐待は存在する。リスベットはその犠牲者だが、彼女は絶対に泣き寝入りしない。自分を虐げた相手にはどんな手段を使っても復讐する。成長した"長くつ下のピッピ"として--。
第三部『眠れる女と狂卓の騎士』は、ソ連からスウェーデンに亡命したスパイをめぐる物語だ。詳しくは明かせないが、リスベットの出生に関わる人物だと書いておこう。
スウェーデンの公安警察は、そのスパイからソ連の機密を得ようとした。スパイには女性に対する残酷な性癖があったが、公安警察は国家の都合を最優先した。スパイを追放するのではなく、女性を追放し、社会から覆い隠そうとしたのだ。個人の権利より国家の利益が大事だということ。よくある話だ。国家は個人の運命など何とも思っていない。人権は地球より重いはずなのに。一部の人間は、スパイの存在を利用して出生すらしてゆく。しかし犠牲になった女性も黙っておらず、自分をそんな目に合わせた社会に立ち向かう(こう書けば、その女性が誰か想像できてしまうが、詳細はぜひ小説を読んでお知りになることをすすめる)。
第二部のラストで、リスベットは頭を拳銃で撃たれ、土中に埋められた。しかし、執念で這い出す。奇跡的な生還だった。殺人容疑は晴れるものの、第三部では傷害容疑に対する裁判が待ち受けていた。負ければ再び精神病院送りになるだろう。自分たちの身を守るため、リスベットを社会から抹殺しようとする者たちも暗躍していた。
病院のベッドで不自由な身だったが、リスベットはくじけず、着々と戦闘態勢を整える。自由への手がかりは、秘密のことだからMacintoshは無理だったが、タッチペン方式のPDA、携帯情報端末だった。協力者も次々に現われる。ミカエルを筆頭に、それぞれの分野の実力者がリスベットを助けようと集まって来た。生まれてから虐待に告ぐ虐待を受け、いいことなど何もなかった彼女である。しかし見ている人は見ていた。リスベットほど優れた人間はいない、虐げられるどころか尊敬されるべき人間だ、と。
やがて始まる裁判。圧倒的に不利な状況だが、リスベットはどうなるのか? ミカエルの妹、弁護士のアニタは大逆転に必要な、どんな材料を持っているのか?
物語の主軸はもちろんリスベットだが、ミカエルのパートナー、雑誌「ミレニアム」の編集長エリカ・ベルジェをめぐる物語も忘れがたい。彼女は「ミレニアム」での実績を買われて、スウェーデンを代表する大新聞の編集長にヘッドハンティングされる。「ミレニアム」は代え難く愛すべきメディアだったが、ジャーナリストとして、より高みに上りたいという欲求は抑えられなかった。ところが、移籍して早々、自分を引き抜いてくれた経営者に、汚れた事実があることがわかる。ベトナムの子どもたちを奴隷同然に働かせ、国連のブラックリストにも載っている会社から、彼は不当な利益をあげていたのだ。
ミカエルたちは「ミレニアム」にそのルポを掲載しようと考えたが、それはエリカを窮地に追いこむことになるだろう。編集部は退いても、エリカはまだ「ミレニアム」の共同出資者なのだから。エリカは自分で自分を撃つばかりか、自分の才能を認めてくれた人間を撃つことにもなる。社会悪の告発がジャーナリストの使命とはいえ、大新聞が自らの経営者を訴えるなどありえない話だし、道義的にも忍びなかった。エリカはどの道を選択すべきなのか......。
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前回も書いた。『ミレニアム』はミステリ小説、サスペンス小説に分類される作品だが、私はそう読んでいない。あえていうならジャーナリズム小説である。小説を書くことで、スティーグ・ラーソンは社会悪に立ち向かおうとした。読者に、社会悪の存在を知ってもらおうとした。悪は、経済界、政界、国家の至るところに存在している。
ひとりの力では難しいが、世論に訴え、人々の意識を喚起することで世の中は変えられると、ラーソンは信じていた。まず、ミカエル・ブルムクヴィストが、直接的にラーソンの考えを表わしている。そしてリスベット・サランデルは、世論の喚起などは考えていないものの、ハッカーとしての腕前を最大限に使って、社会悪と対決する。個人主義なのだが、それもひとつの生き方だろう。ただひとりでも、社会に立ち向うことはできるという、これもラーソンの信念に違いない。その道具こそコンピュータ、具体的には、Macintoshのポータブル・タイプ。"そのキーを叩く!"ことで、リスベット・サランデルは自由のための闘いを継続する。
リスベットとミカエル、ふたりを取り巻く大勢の登場人物たち。『ミレニアム』の世界は実に豊かだ。どのページをめくっても、どの行、どの言葉にも、ジャーナリズム小説として、スティーグ・ラーソンの考え方が記されている。
私はラーソンに共感する。『ミレニアム』は、書き手による、書き手の物語である。本当に、生涯に一作、彼は書き手として大切な作品を、この世に書き留めることができた。よかった。スティーグ・ラーソンに、乾杯!
2012.02.17 | CULTURE
木部与巴仁
詩人
作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運 営。2012年5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週 刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/