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O・ヘンリー賞を4回受賞した短篇の名手『フラナリー・オコナー全短篇』

2009.07.02

O・ヘンリー賞を4回受賞した短篇の名手『フラナリー・オコナー全短篇』

 運命は、私たちを放っておいてくれない。どうしてもつかまえようとする。その手で。

〈悪竜は道の辺にありて、通る者をねらう。心して、呑まるることなかれ〉

 短編『善人はなかなかいない』の冒頭に、フラナリー・オコナーが引用している。エルサレムの、聖シリルの言葉だという。

 おばあちゃんは、フロリダへ行きたくなかった。東テネシーの親戚を訪ねたかった。ひとり息子に新聞を見せ、気を変えようと躍起だ。

「ねえベイリー、ちょっとこれ読んで。自分からはみ出しものを名のってる男が、連邦監獄を脱走してフロリダに向かったって。こういう犯罪者がうろついてるところに子供たちをつれていくなんて、とんでもない」

 もちろん、これは方便だった。息子には無視されたが、おばあちゃんだって、まさか本当に、はみ出しものが......。

kibe1.jpg『フラナリー・オコナー全短篇』

 『フラナリー・オコナー全短編』に収められた作品は、上下2巻に27篇。病のため39歳で亡くなるまで、英文の優れた短編に与えられるO・ヘンリー賞を4度受賞し、オコナーは短編の名手とうたわれた。

 オコナーに物語られる人々は、運命、すなわち〈悪竜〉から決して逃れられない。彼女に物語られたから逃れられなくなったのでは、と同情をもっていいたくなる。

 なぜ、オコナーはこうまで執拗に、苦しむ人々を書き続けたのか。主人公たちは悪いことなどしていない。少しばかり頑固ではあっても、努めて善人でいようとしている。にもかかわらず、この世の苦しみを引き受ける。オコナーによって引き受けさせられる。

 例えば「人造黒人」。ミスタ・ヘッドは自信満々だ。孫のネルソンにアトランタを見せ、都会などつまらない、田舎にこそ満足があると思い知らせようとする。しかし、列車では巨大な黒人に圧倒され、食堂車の調理場に入るなと注意され、駅では通勤の大混雑に巻きこまれる。道に迷い、弁当を忘れ、黒人たちにじろじろ見られ、ついにネルソンまで迷子にさせて、自信は消えうせる......。

「すべて上昇するものは一点に集まる」のジュリアンは、母親をバスに乗せ、減量教室に連れてゆく。母親は黒人とバスに乗るのが厭だ。しかし黒人の子供はかわいいと思い、金をめぐもうとする。それを子供の母親にとがめられ、ショックのあまり道路にしゃがんで立てなくなった。「おうちへ帰る」「おうちへ帰る」ジュリアンが何をいっても、母親は繰り返してつぶやくだけ......。

 孫に対して見栄を張っているだけの男。黒人を動物のようにしか見られない女。彼らの自尊心など、紙くずのようなもの。リアルとか、残酷とか、そんな言葉では物足りない。容赦がないのだ。落ちるべきところ、運命の落とし穴に落ちてゆく人間の姿を、アメリカの南部を舞台に、オコナーは容赦なく描いた。

 ここまで書いてこそと思う一方、救いがないとも感じる。読者よりもオコナー本人に、救いがないのでは? 読者は厭なら読まないだけの話だが、作家は厭でも書く。自分を追いこんでいる。人が見たくないものを、彼女は見ようとした。そこにこそ、人間の真実があると信じて。

 一篇は短いが、そう感じさせるものはひとつもない。人間の存在が、丸ごととらえられているためだろう。

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2009.07.02  |  CULTURE