2009.03.05
大島弓子の目を通して何を読めるのか。『大島弓子が選んだ大島弓子選集』
『ミモザ館でつかまえて』『F式蘭丸』『すべて緑になる日 まで』詩そのものといっていい題名である。
『夏の終わりのト短調』『草冠の姫』『たそがれは逢魔の時間』作品を予告する際はストーリーが決まっていないため、内容に左右されにくい題を考える。作者のそんな発言があったが、言葉自体は美しい。
『バナナブレッドのプティング』『四月怪談』『ダリアの帯』『ロングロングケーキ』......。
大島弓子の選集が刊行中だ。全7巻、それも"大島弓子が選んだ"という自選集の形で。
これまで、大島弓子の選集はまとまった形で二度、出版されている。1985年の第1期「大島弓子選集」全10巻。続いて1995年の第2期「大島弓子選集」全6巻。いずれも朝日ソノラマが版元だった。
『ポーラの涙』による漫画家デビューは1968年だから、約20年、約30年の間をおいて出版されたことになる。そしてデビュー40年の2008年。版元を、今度はメディアファクトリーにして「大島弓子が選んだ大島弓子選集」が編まれることになった。

大島弓子『大島弓子が選んだ大島弓子選集』
大島弓子は、時間の移ろいを、じっと受けとめて生きるタイプの女性だと思う。すすんで、何かを訴えるのではない。漫画を描くという行為には能動性があるが、そのドラマは、現実に起こる波紋と主人公の内省を繰り返しながら進んでゆく。
......「春は長雨」
ひとりの女の子が、雨の道ばたにしゃがんでいる。
「どうして こんなにふるのか さっぱりわからない」
ふさふさした髪の間から、三角の耳が突き出ていた。
「どうして急に だれも いなくなったのか さっぱりわからない」
女の子はごみ箱を開けようとして、力なく仰向けに倒れる。
「だめだ ポリバケツの ふたを あける力もないや」
姿こそ人だが、女の子は猫である。捨て猫が雨に降られ、死ぬ寸前だった。そこに通りがかった大学生、須和野時夫に拾われて、須和野家の〈チビ猫〉となる。「選集」の2巻から4 巻を占める代表作、『綿の国星』の幕開きだ。
猫アレルギーの母、小説家の父、時夫のガールフレンド"ひっつめみつあみ"、さまざまな猫たち。愛すべきキャラクターばかりが登場する。
映画になった『グーグーだって猫である』も、そう。長く一緒に暮らした猫、サバを描いた一連の作品も、そう。大島弓子は、猫の肌合いを通して世界と向きあっている。雨が降れば雨に従い、夏になれば夏に従い、雪が降れば雪に従う。無理はしない。
無理をしなくても生きていける、そんな人生を選んでいるのだ。
そのようにして40年。作品を積み重ねた結果、自ら選集を編むことになった。大島弓子にふさわしいことだと思う。
この原稿を書いている時点では、6巻、7巻の内容は発表されていない。大島弓子の目を通して何を読めるのか。楽しみに日々を過ごしている。
木部与巴仁
詩人
「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/