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一冊で二冊分の小説を読んだ気持ちになる。マイケル・オンダーチェ『ディビザデロ通り』

2009.04.16

一冊で二冊分の小説を読んだ気持ちになる。
マイケル・オンダーチェ『ディビザデロ通り』

 告白しよう。この小説のおもしろさが、すぐ体に入ってこなかった。三度読むうちにわかりかけ、『ディビザデロ通り』と作者マイケル・オンダーチェを、もっと理解したいと思うようになった。宣伝文句めくが、一冊で二冊分の小説を読んだ気持ちになる。

「わたしが生まれ育ったのはディビザデロ・ストリートだった。スペイン語で『境界線』を意味するディビサデーロに由来するこの通りは、かつてはサンフランシスコとプレシディオの緑地の境界にあった」

 語るのは、アンナ。若い農夫、クープとの肉体関係が父親に露見し、怒りを買ってからは家を出て、ひとりで暮らすようになった。今はアメリカを離れ、フランスで、ある詩人の生涯を研究している。

「それとも、それは『遠くから見つめる』という意味のディビサールという言葉から来ているのかもしれない。(中略)つまり、そこからなら、遠くまで見渡せる場所なのである」

 遠くから見つめ、遠くまで見渡すこと。失ってしまった人たちを。それが自分の仕事かと、アンナは思う。父を、恋人だったクープを、血はつながっていないが共に成長したクレアを、研究対象である詩人のリュシアン・セグーラを。そして、自分を?

kibe1.jpgマイケル・オンダーチェ『ディビザデロ通り』

『ディビザデロ通り』の全体は、三部に分かれる。舞台はアメリカとフランスだ。
 第1部「アンナ、クレア、そしてクープ」は、アメリカのカリフォルニア州北部で繰り広げられる、ふたりの女とひとりの男の物語。全体の約3分の1を占めている。アンナにとってもクレアにとっても、クープはアイドルだった。しかし、結ばれたのはアンナであり、それがきっかけで一家は崩壊する。農場を出たクープは、ギャンブラーとして生きることになった。

 第2部「荷馬車の一家」には、アンナが研究する詩人、リュシアン・セグーラが登場する。家族と別れて放浪し、フランス南部のデミュ村に終(つい)のすみかを見つける、晩年のセグーラを描いた短い章だ。

 第3部「デミュの家」は、リュシアン・セグーラの物語。少年のころ出会った年若い人妻に、彼は終生ひかれた。相手も同じだったろう。第一次大戦の戦場から帰還し、リュシアンは彼女と再会したが、その時、相手はもう......。やがて、リュシアンは人妻をモデルにした女性を小説に描き、思う存分の逢瀬を楽しむようになる。彼はもう、現実を生きていなかった。

 小説を書き始める時、オンダーチェは何の構想も立てないという。通りの名前のように、登場人物を"遠くから見つめる"うち、アンナやクープ、リュシアン・セグーラの歴史に至り、オンダーチェ自身が書きたかったテーマを探り当てたのだろう。

 人生に、似ている。未来がわかっている人など、どこにもいない。誰もがわからずに生きているが、後で振り返れば、その人なりの必然性があると思う。仕組まれていることなど、ひとつもないはずなのに。

 読者は、第2部で結ばれた二つの物語を読む。無理やりな感じは受けない。『ディビザデロ通り』を書きながら、作者はアンナになり、クープになり、リュシアン・セグーラになった。作中の人物として生きたのだから。そのような物語作りに、私は強くひかれる。

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2009.04.16  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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