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希望を与え、共感を与えるジュエリー鶴岡真弓『阿修羅のジュエリー』

2009.06.26

希望を与え、共感を与えるジュエリー
鶴岡真弓『阿修羅のジュエリー』

 57年ぶりで奈良から東京に来たら、およそ2か月、一目会いたい人で押すな押すなの盛況となった。7月14日(火)からは福岡に出向くが、やはり同じ扱いを受けるだろう。

 匹敵する人などいない人気の阿修羅像。奈良の興福寺が創建1300年を記念し、阿修羅を始めとした八部衆、十大弟子の立像などを展示。春から初夏にかけて東京の話題になった。

kibe1.jpg鶴岡真弓『阿修羅のジュエリー』

『阿修羅のジュエリー』は、まずタイトルにひかれる。格助詞「の」以外、日本語がない。阿修羅は、闘いの神を表わすインド語の「アスラ」「アシュラ」であり、ジュエリーは、宝石や貴金属類を表わす英語である。

 阿修羅像には数々のジュエリーが見える。そのデザインは、シルクロードをはるかに超え、アジアとヨーロッパ全域にルーツを見出せる。著者の提唱する「ユーロ=アジア世界」を、一体の仏像が体現しているというわけだ。

 日本製アニメにでも出てきそうな美少年顔の仏像は、今でこそ黒ずんでいる。しかし、かつてはまっ赤な漆で全身を塗られ、ジュエリーの部分は金色だった。赤は血に通じる生命の色。闘いの神にふさわしく、見る者を熱くさせる。その上に金色のジュエリーをまとっているから、人の及ばぬ超能力性が強調されることになる。

 首から下げたネックレスには、センターと両肩の部分に宝石がかたどられている。蓮華や唐草の縁飾りが美しい。

 手首と二の腕には、リボン飾りのブレスレットが見える。腕が6本あるから、ブレスレットの数は12に上る。

 左肩からはドレープも優雅なショールを垂らし、腰には花柄を散らしたスカートを巻いている。足に履いているのは、おしゃれなサンダル。

 これが阿修羅のジュエリーであり、ファッションだ。

 人は、服を脱いでしまえば丸裸である。鳥の羽もなければ、獣の柄もなく、魚や爬虫類の鱗もない。何もない哀れな存在だから、その身を飾って自分を強くしようとした。他にまさる美しさを獲得し、地位や権力の象徴にし、時には弱い自分を鼓舞する。理由はさらにあるだろうが、人の歴史にジュエリーは必要だった。

 著者は指摘する。
「阿修羅を造立したプロデューサーは、光明皇后、光を名にもつ王妃でした。彼女もまた阿修羅の胸飾のような黄金のジュエリーにあこがれ、それを気晴らしのお飾りではなく、生命活性のための宝物として認識し、異国から渡って来るのを待ち望んだひとりの日本人であったことでしょう」

 さらに、こうも書く。あなたが天平時代のアーティストやデザイナーなら、阿修羅像の魅力を決定的なものにするため、何をする?

「阿修羅を眺める人、拝む人に、『希望を与え、共感を与える』表現をさぐることでしょう」

 阿修羅が身につけた「飾り」や「装飾」は重要である。

「さまざまな悩みや病をかかえながら、たいへんな思いをして仏像を拝みに訪れる人々に、そのデザインや色彩もまた『希望の光』をもたらしてくれるものであるはずだからです」

 そう考えると、阿修羅像を見に人が押しかけたことには理由があったのかもしれない。彼らは、「希望の光」を求めていた。世の中にも、人々にも、希望がないから。すべてが腑に落ちる。1300年の時を経て、ジュエリーは今もなお、その力を失っていなかったのだ。

*興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」は、7月14日(火)~9月27日(日)、九州国立博物館で開催される。

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2009.06.26  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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