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アメリカを、文章で造り上げるリチャード・パワーズ『われらが歌う時』

2008.09.20

アメリカを、文章で造り上げる
リチャード・パワーズ『われらが歌う時』

 短編であろうと長編であろうと関係ない、と仮定してみる。小説の価値は、そこに世界が築かれているかどうか。世界のない、厳密にいえば作者の世界観が感じられない作品には重みがない。短編でもいい。長編でもいい。世界に向き合いたい。

 亡命ユダヤ人物理学者のデイヴィッドと、黒人音楽学生のディーリアの間に、三人の子どもが生まれた。後に天才テノール歌手となるジョナ。兄の伴奏ピアニストとなるジョゼフ。音楽の才能は誰よりあったが、黒人解放運動に身を投じる一人娘、ルース。夫婦の出逢いは1939年。ジョナの誕生は1941年。小説の幕開きとなる声楽コンクールは1961年。母の死、兄弟の別離、妹の失踪、男女の出逢いと別れ、父の死、兄弟の和解。ジョナが命を落とすロス暴動は1992年。

kibe0926.jpgリチャード・パワーズ『われらが歌う時』上、下


『われらが歌う時』の背景には、50年以上に及ぶアメリカ現代史がある。そこに、黒人と白人の混血児として主人公たちがいる。

「......しかしながら、同胞たちが路地で死んでいっているというのに、驚くほど才能のある若い黒人歌手たちの中にはいまだに白人の文化ゲームに仲間入りしようと汲々としている者もある」

 マーラーの『大地の歌』に代役として出演し、見事な声を聴かせたジョナに対する演奏会評である。時に1967年。ブラック・パンサー党員として現われた妹のルースは、クラシック音楽の道を行く兄たちにいった。

「同胞が食いはぐれていて、なおかつ、法の保護さえ得られないような状況で、どうしてあんな宝石をちりばめたくそみたいな音楽をのうのうとやっていられるわけ? 権力の亡者の白人至上主義者たちにいいように使われてるだけ」

 ベトナム戦争は激化の一途をたどっていたが、アメリカ国内もまた、戦争状態だった。黒人対白人の。そしてジョナ、ジョゼフ、ルースは、兄弟として闘わなければならなかった。兄に対して、妹に対してはもちろん。兄も妹も、自分自身と。さらには白人である父と。自宅が爆発して焼け死んだ母は、白人と結婚したために殺されたのでは? だとしたら父は、母の死に間接的に関わっている......。

 処女作『舞踏会へ向かう三人の農夫』から『われらが歌う時』へ。リチャード・パワーズは執拗に世界を構築し続け、世界観を提示し続けている。

「こんな世界に生きていたい? 未来のために闘いたくない?」「なにもかも、たがが外れかけてきているの」「世界が炎に包まれているんだ」「社会を変えるか、変えないか」

 アメリカを、文章で造り上げる。あの約50年は、このような時代だったのだと、開巻の一音、一字、一語から構築してゆく。それこそがパワーズの思想である。読者によって時代の見方は異なるだろう。歴史の事実を取捨選択して小説に生かしている。物理学とクラシック音楽と黒人解放闘争を選んだ。そのために落ちるものがあることはわかっている。すくいあげたもので何を造るか。それが思想。文学の思想なのだ。生と死、闘争と和解、放浪と出会い。できあがったものは、神話に似ていた。

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2008.09.20  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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