TOPIC PATH
HOME
  >  COLUMN
  >  読んだ一冊 探した一冊
  >  この作品と作者を、職業の枠にはめて小さくしたくない。磯崎憲一郎『終の住処』
PREV PAGE

COLUMN

RSS
この作品と作者を、職業の枠にはめて小さくしたくない。<BR>磯崎憲一郎『終の住処』

2009.09.10

この作品と作者を、職業の枠にはめて小さくしたくない。
磯崎憲一郎『終の住処』

 第141回芥川賞受賞作品である。電車に乗れば、書店に立ち寄れば、作者・磯崎憲一郎の半身写真が目に入る。勤め先の商社名まで書いてある。それが本人の望む宣伝のあり方かどうかはわからない。しかし、事実からは誰も逃れられない。

 主人公は"彼"。三人称で書かれた物語だが、最後まで一人称で書かれた小説のように錯覚する。

「彼も、妻も、結婚したときには三十歳を過ぎていた」という。「それから何十年も経って、もはや死が遠くないことを知ったふたりが顔を見合わせ思い出したのもやはり同じ、疲れたような、あきらめたようなお互いの表情だった」という。現在の"彼"は老人? 少なくとも若くない。読者は、サラリーマン一人分の人生と向き合うことになる。

kibe11.jpg磯崎憲一郎「終の住処」

 新婚旅行の間、常に妻は不機嫌だった。理由を問うと、返事は「別にいまに限って怒っているわけではない」ある時はひどく上機嫌で寛容だった。お茶もお菓子も次々に出してくれた。しかし席をはずして戻ってくると、妻はすでに口をきかなかった。

「この女はどうしてこうも計り知れないのだろう、どうして彼の感情が追いついたときにはもうそこに彼女はいないのだろう?」

 理由を問えば、答えたに違いない。「別にいまに限って怒っているわけではない」と。脈絡もなく、「別れようと想えば、私たちはいつだって別れられるのよ」とまでいう妻なのだ。しかし結婚後数年も経てば、問うことすらなかった。妻は、「別にいまに限って怒っているわけではない」から。

 彼は妻以外の女性を好きになる。違う部署で働く、同じ会社の社員だった。理由は明らかではない。「擦れ違うまさにその瞬間、スカートの裾が彼の右手の中指の爪に、嘘のように微かに、触れた」その瞬間、「ああ、これはまずいな」と思った。運命だったのかもしれない。しかし、その相手を「下らない太った女」だと思い、それでも別れられない彼は、自己嫌悪から妻との離婚を決意する。自分を縛りつける現実から、逃避したかったのだろう。その決心を告げようとした時、思わぬ宣告が、妻からなされた。

「妊娠したの。間違いないわ」
 ここまでずいぶんと長く、彼の人生につきあった気がしていた。しかし、よく読めば、この時点でまだ結婚三年。二歳の子を連れて一家三人、遊園地に行く場面がある。この時、彼は新しい女とつきあっていたのだが、それでもまだ結婚六年。人生の一歩一歩は何と長く、重いのだろう。遊園地から帰った夜、妻は彼と口をきかなかった。それ以後ずっと十一年、口をきかないままだった。

 意地の悪いことを考えた。人は、人生の終焉、経過に、いちいち思いを至らせるだろうか。結婚する時は何歳であり、何歳で責任ある仕事につき、特筆される成果を何歳で達成し、さらには妻以外の女性と何歳でつきあい、何歳で子どもが生まれ、何歳で家を建て、何歳でローンを返済し終え、と。サラリーマンなら、定年から逆算して、人生の設計をするかもしれない。それ以外の人間には......、そう思った時、作者・磯崎憲一郎はサラリーマンだと気づいた。『終の住処』というタイトル、テーマも、サラリーマンとしての人生が生んだものではないか? 実際の作者は、定年には遠い44歳なのである。

 この作品と作者を、職業の枠にはめて小さくしたくない。サラリーマンの人生がよく書けているとは思うが、もっと大きく、妻や仕事や恋愛や家を含め、人生というものからの逃れられなさ、運命を描いたものだと見たい。だから、広告に勤め先の名を書いたりしない方がいいと思った。磯崎憲一郎の世界観には、職業や会社の枠などに収まらない、作家としての大きさがある。せっかくの才能を、出版社が矮小化してはいけないだろう。

BRAND
RELATED POSTS
2009.09.10  |  CULTURE

FEATURE

教えて、フィガロ 幸せへの最強占い。 LOVE&PEACEの瞬間、そして永遠。
PAGE TOP
  • madame FIGARO.jpとは?
  • 広告掲載
  • お問い合わせ
  • よくある質問
  • ご利用規約
  • 個人情報保護方針
  • SITE MAP
madame FIGARO.jpに掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます