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イエスとブッダの気ままな時間。中村光『聖☆おにいさん』

2010.01.22

イエスとブッダの気ままな時間。中村光『聖☆おにいさん』

"キリストと釈迦が、Tシャツにジーンズ姿で、電車に乗っている"

 後から思えば、それは単行本第3巻発売を告げるポスターか、単行本の表紙それ自体を、印象にとどめていたのである。
 居眠っているのか、談笑しているのか。陽光が降りそそぐ車内で、彼らは安らかな表情をしていた。窓辺にペットボトルを立てて。

 中村光の、『聖(セイント)☆おにいさん』。私は3巻の発売時に、その存在を知った。作品は2007年から「モーニング2」に連載され、現在は4巻まで発売中。2009年には手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。「宗教と日本人との結びつきを親しまれるコメディーマンガに描き出した独創性」が評価されたと、手塚賞の公式サイトは説明する。また、別冊宝島「このマンガがすごい!」の2009年版オトコ編第1位にも選ばれている。

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 私はキリストと釈迦と思ったが、作品では"イエス""ブッダ"と呼ばれている。聖人の代名詞というべきふたりが、東京・立川にある二階建て木造アパートで、下界のバカンスを楽しんでいる。作品から判断すると、部屋は六畳一間、台所あり、トイレ付き、風呂なしの角部屋。家賃は5万円前後だろうか。もちろん、仕事はしていない。バカンスは有給の休暇であり、天界からは銀行口座宛て、定期的に給料が振り込まれているようだ。

 イエスはノート型コンピュータを愛用し、ブログを運営。女子高生からジョニー・デップ似といわれて悦に入る。浪費家で、ブッダから、しばしば注意されてしまう。

 そのブッダはシルクスクリーンが得意で、イエスと一緒に着ているTシャツの文字は、彼の手製だ。手塚治虫の『ブッダ』全巻を揃えて愛読書とする一方、財布の紐は固い。

 六畳一間の気ままな時間。イエスとブッダの浅草観光や秋葉原での買い物。イエスがロン毛、ブッダがパンチを名乗る漫才の舞台。イエスの体に刻まれた傷に、地元の極道が尊敬の気持ちを抱く。水泳、乗馬、ボートとスポーツ万能のブッダ。修善寺旅行には、大天使まで美少女・美少年キャラで登場する......。

 短いエピソードを並べてもきりがない。多くの人が読んでいる作品に、余計な解説はいらないだろう。絵と一緒でなければ漫画の紹介にはならないし、キリスト教や仏教のエピソード、教義がギャグの材料になっているが、それは味付けであって作品の本質でない。『聖☆おにいさん』を、私がなぜ気に入り、なぜ語りたいと思ったかに集中しよう。

 再び、第3巻の表紙に戻る。
 これは、何もしなくていい、あらゆる束縛から解放された、至福を描いた絵である。

 人生は所詮、生きて死ぬまでの時間をいかに過ごすか。何かになろう、何かをなしとげようと懸命になること。何もせず、時間の過ぎ行くままに生きて、死んで行こうとすること。どちらも等価値である。何もしない人間を怠惰と決めつける風潮が、日本の40年前、50年前にはあったが、現代人はそのような観念から解放されていると思う。さらにいえば、何かをしようとした時、される側にはひずみが起きる。公害、自然破壊はいうまでもない。一方の価値観で一方を制御する押しつけがましい人間に、現代人全般とはいわなくていい、私は嫌気がさしている。他人は、自由に生きさせてあげればいい。偉そうに説教をする人間には、いったい何者なのだといいたい。『聖☆おにいさん』第3巻の表紙には、そんな思いが、そのまま描かれていた。

 初めは、イエスとブッダの姿に、ヒッピーを感じ、そのことをいおうと思った。既成の価値観や常識を否定し、自然と芸術を愛して生きるヒッピー。ただ、それもまた1960年代に生まれた価値観であり、2010年を生きる下界のイエスとブッダを、手あかにまみれた言葉でくくるまいと思ったのである。

"聖☆おにいさん"たちのように生きたい。いや、彼らだって立川のアパートの家賃を心配するくらいだから、現実は厳しい。初めから下界の住人である私は、働かなければならない。しかし少なくとも、Tシャツとジーンズ姿で、電車に揺られ、安らかな表情でいられたらと願っている。至福の時よ来れと、心でそっと、つぶやいている。

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2010.01.22  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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