2008.10.23
なぜ、人は惑星に向かうのだろう?
『太陽系 惑星』
太陽は個体ではない。その莫大なエネルギーは宇宙空間に炎の柱を噴き上げる。
水星は謎の星だ。公転速度が非常に速く、現在の探査機では追いつけない。
火星には水があった。土砂が押し流されてできた地形が確認できる。今も氷がある。
木星も土星も気体であり、表面には分厚い雲が渦巻いて模様を作り、嵐が起こる。
天王星と海王星は、太陽系の最も遠い軌道を回る、氷の星。
『太陽系 惑星』は、純粋に視覚を楽しませてくれる写真集だ。水星探査機マリナー、金星探査機ヴェネラやマゼラン、火星探査機ヴァイキング、木星や土星に向かったパイオニアやヴォイジャーなどが撮影した写真をふんだんに紹介する。自然科学の知識が豊富なら読み取れるものは多いだろうが、それらのない者には示された写真がすべて。土星や天王星を取り巻く環のような、地球にない宇宙の造形は純粋な驚異だ。火星の沙漠や砂丘、金星の山や谷など、地球と似た風景にもかえって驚かされる。つい最近、火星で初めて降雪が確認された。そのようなニュースを思い出しながら読み進めば、楽しさも増すだろう。
写真を見ているうち、ふと『禁断の惑星』というアメリカ映画を思い出した。1956年の作品である。
23世紀。人類は太陽系の外に出て、他の惑星への移民を進めていた。惑星アルテア4に着陸した乗組員は、モービアス博士と娘のアルタ、ロボット執事のロビーに出会う。博士は移民団の生き残りで、他の人々は謎の怪物に殺されたという。退去を勧められたが、乗組員は耳を貸さない。やがて警告通りに殺人が起こる。それは博士の意識が顕在化した、見えない怪物"イド"のしわざだった。博士は、アルテア4に栄えたクレル人の機械を研究し、自身の能力を高めていた。クレル人は、彼らが作った機械によって、彼ら自身を滅ぼしたのだ......。
シェイクスピアの『テンペスト』を下敷きにしただけに、限られた人物と舞台が設定され、せりふを中心に物語は進む。人は、生まれ育った場所にいれば安全である。しかし、危険が予想される場所に身を投じ、未知の体験をしようとする。目新しさがある。精神の昂揚もある。死と引き換えの行為なのだが、人はそれをやめず、やめようとしなかったことが、そのまま人間の文明史となった。
『禁断の惑星』は、立ち入ってはいけない意識の領域を意味するが、写真集『太陽系 惑星』で目にする光景が、実はそれなのではないか。動機は科学でもロマンでもいい。映画のように移民でもいいが、行けば命は危うい。しかし、探求したいという衝動は止められない。金星の温度が420℃に達し、火星にもはや水はない、意識が怪物化した"イド"に殺されるとわかっていても、である。
なぜ、人は惑星に向かうのだろう?
わからない。
今はただ、美しい写真に向き合い、視覚を楽しませるだけでいい。人の意志を乗せた機械が、誰もいない惑星を動き回り、宇宙を飛んでいる。その光景を想像するだけでいい。禁断の領域は、まだ開かれようとしているだけなのだから。
木部与巴仁
詩人
「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/
