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生きて、考えている過程を示した短編集。ナム・リー『ボート』

2010.05.13

生きて、考えている過程を示した短編集。ナム・リー『ボート』

 私は作者ナム・リーその人を知らない。訳者の「あとがき」にも、ナム・リー本人の詳しい紹介がない。だから誤読しているかもしれないが、あえて、書こう。

『愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲』。

 短編集の始まりに置かれた作品である。主人公は、かつてボート・ピープルだったベトナム人青年で、若手作家。流れついたオーストラリアで育ち、大学を卒業し、法律事務所に勤め、今はアメリカのアイオワ大学で創作ワークショップに籍を置く。ナム・リーの経歴と同じではないか。証明写真のようなポートレイトが頭から離れない。

 額に垂れた黒髪。素肌にはりついたワイシャツ。眉間に皺を寄せているのは、癖?
book_boat_100513.jpeg
 もちろん、告白の書であっていい。エッセイのような小説でもかまわない。しかし、作家は平気でフィクションという名の嘘をつく。いつの間にか、『愛と名誉』の主人公は証明写真のナム・リー以外、考えられなくなっていた。それが作家の魔法。だまされた私を陰から眺め、仕方ないな、とため息をついているかもしれない。だましたのは誰?

 ひとりになって創作に打ちこみたいのに、いきなり父親がオーストラリアからやってきた。
「一日生きれば、海のような知恵がつく」
昔から得意だった、ベトナムのことわざを口にしている。何という押しつけがましさ。本当の話かもしれない。

「あたしより前には、つきあってる女にお父さんを紹介するなんてこと、なかったのよね?」
問いつめるリンダの顔つきが厳しい。これも、本当の話かも知れない。ナム・リーだってアメリカ人の恋人くらいいるだろう。

「間違いがあるな」
息子の作品を読んだ父親がいった。
「お話だからね」
息子も切り返す。嘘だと自分から白状している。
「なんで、この話を書きたくなった?」
「いいストーリーになるから」
「ほかにいくらでも書くことはあるだろう」
「大事なことだからね。......ほんとうのことを書けば、そのほうが買い手がつくかもしれない」
父親はある朝、息子の原稿を河原に持ち出し、焼いてしまった。本当の話か? 父親との会話も?

 父親は子どものころ、アメリカ軍による虐殺現場にいて、奇跡的に死を免れた。自分をかばう母親に銃弾が撃ちこまれ、母親の体が何度も跳ねた。本当のことだろう。いや、そういう歴史は確かにあったが、経験したのは父親ではないかもしれない。
「お話だからね」
父親は虐殺現場で死んだかもしれない。

「お話だからね」
ボートピープルで漂流していた時、飢えと病で死んだかもしれない。
「お話だからね」
実は父親もリンダもおらず、すべてアイオワ大学の創作ワークショップで作り上げたことかもしれない。しかし--。

 彼の頭を占めているのは、書くこと。
 何を、どのように書くか。
 自分が書きたいこと、書けるものとは。

 それはつまり、どう生きるか、どう生きたいのか、どう生きていけるのか、ということ。作家だけの課題ではない。誰もがそう思いながら生きている。

 ナム・リー=『愛と名誉』の主人公は、友人にいわれた。
「おまえはベトナムのボートピープルを書いてればいいんだろう」
 短編集の締めくくりは『ボート』という作品。ボートピープルの話だ。15人乗りの船に200人が乗り、あてもなく海上を漂った。異臭がこもる船内。死んでゆく子どもたち、大人たち。幼いナム・リーも、そこにいた。

「僕などは、麦わらの笠をかぶって稲田に立たされることになるのか」
 アフリカがルーツの作家は、作品集のポートレイト撮影に、ナイジェリアの民族衣装を着たという。それならばナム・リーは、ベトナム農民のかっこうをするのか。物語で嘘をつき、ポートレイトまで嘘をつく。作家の本質に沿っているかもしれない。

「それさえやってれば下手でもいいんだ」
 これも友人の言葉。中国人は中国人を、ペルー人はペルー人を、ロシア人はロシア人を、ナム・リーはベトナム人を書けばいい。

 短編集『ボート』に収めた作品は7編。しかし、『愛と名誉』と『ボート』にはさまれた5編は全部、ベトナム人を描いていない。『カルタヘナ』の主人公はコロンビアの殺し屋。『エリーゼに会う』はニューヨークの老画家。『ハーフリード湾(ベイ)』はオーストラリアの高校生。『ヒロシマ』は、 時中の日本人少女。『テヘラン・コーリング』は、異国を訪れたアメリカ人女性を描いた。

 ナム・リーは、数からいえば圧倒的に、自分以外の物語を創っている。作家のあり方として、とがめられるものではない。作家は嘘をつくものだから。それに彼は、ボートピープルからもベトナムからも逃れたかったのだろう。しかし、ポートレイトの証明写真を見、巻頭に置かれた『愛と名誉』を読み、おしまいの『ボート』を読むと、彼以外の物語が、作りごとにしか見えなくなってくる。『愛と名誉』の主人公は真情を吐露しているし、『ボート』のボートピープルは本物の苦しみを味わっている。作者の心にあることだから、作りごとでも真に迫っている。しかしコロンビア人や広島の少女やニューヨークの老画家は--。

「おまえはベトナムのボートピープルを書いてればいい」
「それさえやってれば下手でもいい」
やはり、友人のいうことが正しいと思う。

 話の入れ物は嘘でいい。しかし入れ物の中のできごとは本当でなければなるまい。

 短編集『ボート』は丸ごと、ナム・リーが生きて、考えている過程を示している。どう生きるか、何を書くか。次回作が答えになるだろう。

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2010.05.13  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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