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そこは本屋という名の宇宙だった―。ジェレミー・マーサー『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』

2010.07.06

そこは本屋という名の宇宙だった―。ジェレミー・マーサー『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』

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 読んでいるうち、本屋になりたくなった。

 自分も本屋を開いて、思いどおりの本を並べ、街の本屋を訪れるたびに味わう物足りなさをぬぐい去りたい。新刊だけでは駄目だから、バランスよく古書を組み合わせて--。

 パリのセーヌ左岸、川を隔ててノートルダム大聖堂と向き合う場所に、英語書籍専門書店、シェイクスピア・アンド・カンパニーがある。

 元ジャーナリストのカナダ人青年、ジェレミー・マーサーは、本と本屋に対する興味だけでここに立ち寄り、それをきっかけにして数か月も寝泊まりすることになった。

 何とこの本屋、閉店後は店中にベッドを並べ、無料の宿泊施設に変身する。本を買うお金のない人のための図書室まである。本書は題名どおり、この不思議な空間での日々を綴った、メモワールである。

 店主は、ジョージ・ホイトマン。

 1913年生まれのアメリカ人で-現在も存命中-、筋金入りの放浪者にして共産主義者。「途方に暮れた人間や貧乏な物書きを歓迎」し、手を差しのべている。

 生まれついての自由人だが、だからといって他人の自由にどこまでも寛容なわけではない。自由でいたい人ほど、他人の自由には口やかましいもの。そのジョージに気に入られたのだから、著者はおそらく、人の心を読むことに長けているのだろう。

 さて、--本屋は宇宙である。

 ホルヘ・ルイス・ボルヘスが、『バベルの図書館』で書いている。図書館は無限であり、永遠を超えて存在する、と。

 シェイクスピア・アンド・カンパニーも無限であり、永遠に続く宇宙だ。

 たくさんの人と本が、出ては入り、入っては出てゆく。一冊の本にも世界がある。ひとりの人間にも世界がある。ジェレミー・マーサーが訪れた時点で、すでに約4万人が泊まっていたという。おびただしい世界を集合できるのだから、そこはまさに宇宙。宇宙であるからには、ものの大小は関係ない。

 初めに書いたように、本屋になりたい、本屋を作りたいというのは、宇宙を創りたいということだろう。

 本屋、特に古本屋に行くというと、人に聞かれる。何か探しているのですか? と。別にない。本屋という場所が好きなのだ。探し物はと、あえていうなら、可能性を探している。何か見つかるのではないか、何か思いつくのではないか、何かが待っているのではないか。

 ジョージ・ホイットマンは、パリに定住する前は、ヨーロッパ、アジア、南米など、世界を放浪した。放浪に、目的があるだろうか? 放浪自体が目的である。本屋を開いてからは放浪していない。距離の移動はなくなったが、本の中を移動している。想像力の旅、発想の旅。彼自身がそうするのだし、訪れる人にも、そのような旅の可能性、あえていうなら放浪の可能性を差し出している。

 シェイクスピア・アンド・カンパニーをWEB検索すると、パリの名所になっているだけあって、観光客が撮った何枚もの写真が見つかった。16世紀の修道院の土台の上に建てられた、三百年以上の歳月を経た建物である。店の外に本があふれ、壁にも柱にも書棚が作られ、天井まで本でいっぱい-正直な印象は、秩序ある宇宙=コスモスではなく、万物発生以前の混沌=カオスに近い-。

"LIVE FOR HUMANITY"(人類のために生きよ)

"BE NOT IMHOSPITABLE TO STRANGERS LEST THEY BE ANGELS IN DISGUISE"(見知らぬ人に冷たくするな 変装した天使かもしれないから)

 ジェレミー・マーサーが書きとめた、壁のスローガンも、生々しく写っている。

 そして、真っ白な髪をぼさぼさに伸ばし、老いてしわだらけになった、ジョージ・ホイットマンの姿もあった。

 シェイクスピア・アンド・カンパニーという名の書店は、二代目にあたる。初代は1919年に開店し、アーネスト・ヘミングウェイや、F・スコット・フィッツジェラルド、ガートルード・スタインら、青年時代をパリに過ごしたアメリカ人、"ロスト・ジェネレーション"と呼ばれる人々と深い関わりがあった。

 店主はシルヴィア・ビーチ。

 若くて貧乏なヘミングウェイらの後ろ盾になったばかりでなく、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が、猥褻などの理由でどの出版社からも見放されていた時、ビーチは資金を提供して世に送り出した。才能ある人間をひきつけた初代シェイクスピア・アンド・カンパニーだったが、ナチス・ドイツ軍がパリを占領した1941年、惜しくも閉店した。

 それから10年後の1951年。パリに暮らしていたジョージ・ホイットマンが、かねて念願の本屋を開き、1964年になって、シェイクスピア・アンド・カンパニーを正式の書店名としたのである。生前のシルヴィア・ビーチと親交があり、彼女の死後は、その蔵書を買い取った。ホイットマンは、初代の精神を受け継いだといえるだろう。

 ロスト・ジェネレーションに替わって、ジョージの店を訪れたのは、ウィリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグらのビート・ジェネレーションだった。それ以前には、ヘンリー・ミラー、アナイス・ニンが常連になっていた。シェイクスピア・アンド・カンパニーを名乗るようになってからは、文学に加えて政治的な匂いがまじり、ヴェトナム戦争への抗議集会を続け、反体制活動家を本の間にかくまうこともあった。

 本屋の領分を超えている。

 本屋というより、そこは大切な、心のよりどころである。無料で泊まれることを含めて、シェイクスピア・アンド・カンパニーを頼りにする人は、世界中にいるだろう。

 この一冊が終ろうとするころ、ビールをくみかわす、ジョージ・ホイットマンとジェレミー・マーサーの姿が描かれる。窓の外には、夕陽に映えるノートルダム大聖堂がそびえていた。ホイットマンはいう。

「......ノートルダムを見るとね、この店はあの教会の別館なんだって気が時々するんだ。あちら側にうまく適応できない人間のための場所なんだよ」
 
"うまく適応できない"のは、まず彼自身だろう。シェイクスピア・アンド・カンパニーの初代も二代目も、そのような人々に必要とされた。ロスト・ジェネレーションもビート・ジェネレーションも、作家とはそういうもの。あちら側に適応できれば、作家になどなっていない。そんな人間が世界中にいることを、ホイットマンは肌で理解できた。あらゆる可能性を有する、宇宙。私が作りたい本屋も、おそらくそのような場所である。

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2010.07.06  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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