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自分自身を書かずにいられないスティーヴン・キング『リーシーの物語』

2008.10.30

自分自身を書かずにいられない
スティーヴン・キング『リーシーの物語』

「世間一般からすれば、有名作家の配偶者は目に見えない透明人間にほかならず、それをだれよりもよく知っているのがリーシー・ランドンだった。夫はピュリッツァー賞と全米図書賞を受賞していたが、リーシーは生まれてこのかた一回しかインタビューされていなかった」

 ああ、今度は作家の妻が主人公なんだ。そして、彼女の夫は死んでいる。

 夫のスコットは現代アメリカ文学を代表する作家だった。当然、遺稿や遺品は研究の対象となり、それを寄託せよと、リーシーに迫る者がいる。そのうちのひとりが彼女を脅迫し、傷つけ始める。リーシーの逃げ場は、かつてスコットに連れられて行った美しい森、現実とは別次元にある〈ブーヤ・ムーン〉しかない。でも、どうすればそこに行けるの?

 自分自身を書かずにいられないんだな。作家であり続ける限り、また作家の話を書くだろう。書くことでしか、作家という彼、スティーヴン・キングは、不安から逃れられない。

kibe1030.jpgスティーヴン・キング『リーシーの物語』

 人気作家が狂信的な女性ファンに監禁され、文字通り、身体を切り刻まれながら、いいなりになって小説を書く。映画化された際は、キャシー・ベイツの名演も手伝い、原作者キングの名を広く知らしめた。

 その『ミザリー』を代表例として、作家ないし作家をめざす、文章を書き続けている人物を主人公にした作品が、スティーヴン・キングには目だって多い。『呪われた町』『シャイニング』『トミーノッカーズ』『ダーク・ハーフ』『グリーン・マイル』『骨の袋』など。

 作家として成功する以前のキングの姿が、『呪われた町』や『シャイニング』に。成功して以降の姿が、『ミザリー』や『骨の袋』に反映されている。

『リーシーの物語』は、同じ作家である現実の妻、タビサ・キングに捧げた作品だ。自分が死んだら、タビサは不安に陥る。自他共に許す、アメリカを代表する作家の妻なのだ。何が起こっても不思議はない。タビサを守ることはできないが、例えば神秘の森〈ブーヤ・ムーン〉のような世界を造っておけばいい。何かあったら、そこをめざすんだよ、タビサ。

 スコットの遺稿を渡せという男の手を逃れ、リーシーは〈ブーヤ・ムーン〉に逃げこむ。男はなおも追い続けるが、現実の世界とは勝手が違う。そこは癒しの森であり、再生の場所。実は--、スコットには悲しい思い出があった。少年時代、兄が狂ってしまった。父は、兄を撃ち殺さなければならなかった。弟である自分も、父を殺した。〈ブーヤ・ムーン〉には、そのできごとをめぐるスコットの真実の声が遺されていた。リーシーに読んでほしいと、原稿の形で保存されていたのだ。

 言葉によって世界を紡ぎ出す。言葉によって不安を逃れる。その不安は言葉から生まれたもの。しかし、言葉は不安から守ってくれる。言葉さえあれば生きていける。夫が死んでも、妻が死んでも、永遠の交わりを持ち続けられる。〈ブーヤ・ムーン〉さえ造り出せる。

 生きることは書くこと。死ぬことは書くこと。愛することも書くこと。言葉に対する絶対の信頼感を、キングは持っている。『リーシーの物語』。これは読者に明かされた、タビサへの恋文だ。恋文さえ、スティーヴン・キングは作品にしてしまう。

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2008.10.30  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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