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「詩」を媒介にして、重なりあう人間の物語。小池昌代『わたしたちはまだ、その場所を知らない』

2010.08.11

「詩」を媒介にして、重なりあう人間の物語。
小池昌代『わたしたちはまだ、その場所を知らない』

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 わたしたちはまだ、その場所を知らない--

 私たちとは、誰?

 その場所とは、どこ?

 まだ知らないとは、いつか知る日が来るということ?

 中学一年のミナコ。詩を読むのが好きな少女である。

 坂口は、彼女を教える国語の教師。坂口も詩を書き、小説を書いていた。かつて......。

 物語は、このふたりを中心に進む。

 作者の小池昌代は、詩人である。小説も書き、『タタド』で川端康成文学賞を受賞した。小説も詩も、それぞれの延長上にあるわけではない。詩を長くすれば小説になり、小説からエッセンスを取り出せば詩になる。そんなことはないわけで、しかし両方で評価されているというのは、作者は詩と小説、いずれの才能も持っている証だろう。

 坂口の提案で、一年二組は朗読会を行う。学校の裏庭にある、葡萄棚の下で。ミナコは牧野虚太郎の『神の歌』を詠んだ。

「水の悔恨がたへまない/いくへにも遠く 孤閨がえらばれて/にくたいが盗まれてゆく」......

 男子のニシムラは、ただひとり、自作の詩を詠んだ。中国で実際に生まれた、16本の足指を持つ赤ん坊。その過剰性を、約30行の詩に書いた。(拙くても、詩を書くと書かないとの間には、埋められない違いがある)

 井波は、教室にほとんどいない男子で、成績も悪く、言葉を発することも少ないが、彼は萩原朔太郎の詩を暗唱した。

「しづかにきしれ四輪馬車、/ほのかに海はあかるみて、/麦は遠きにながれたり、」

 坂口に意外だったのは、通常は"よんりんばしゃ"と詠むところを"しりんばしゃ"と詠んだこと。そこに、授業を通しては触れ得ない、井波の独創性が出た。(詩を、声に出して詠むか、黙読するかの間にも溝はある)

 物語には、小池昌代の、詩人としての体験が生きているだろう。朗読会や、図書館での詩集の探し方、牧野虚太郎や萩原朔太郎などの作品についての考え、など。

 自分が生きる世界を、小説として描く。世界への思いが現れるから、私は好きだ。しかし、危うさもある。作品に添っていうなら、詩の魅力を伝えようとする、小池昌代にとって自己正当化の作品になりかねない。美食をめぐる小説、自動車をめぐる小説などが、美食にも自動車にも関心のない人を遠ざけるのと同じこと。

 小池昌代の小説を読もうという読者なら、詩を受け容れるだろう。しかし、詩に関心のない読者をも引きこむためには、小説としての力と工夫がいる。詩の素晴らしさをいうだけでなく、詩を素材として客観視し、人間を描く必要があるのでは? 詩についての小説などありえない。人間についての小説でなければ。詩人が書く、詩をめぐる小説という甘さを、小池昌代は、断っているだろうか?

 --葡萄棚の朗読会は成功だった。

 授業にはないライヴ感を、生徒たちは抱くことができた。

 そして坂口は、ミナコに傾斜してゆく。ミナコの才能と美しさを愛したのだ。

 大学生だったころ、坂口は友人の冬野と、詩と小説の同人誌を作っていた。互いに、自作の詩や小説を読み合った。恋人ができた冬野に、男と、書くこと、どちらを選ぶのか迫った。坂口は、異性を愛する気持ちを知らなかったのだ。冬野は去った......。

 坂口はミナコに、週一回、詩の個人授業を申し出た。場所は、誰も来ない三階の教材資料室。坂口は、自分の持っているものをすべて、ミナコに注ぎこもうとした。しかしミナコには重荷だった。「帰ります。もうレッスンはやめたいです」と口走ったのは当然だった。思わずミナコを抱きしめた坂口だが、その姿を誰かが見る。個人授業は中止された。坂口は校長から"やや行き過ぎた指導"をやめるよう、注意を受けた。
(坂口の気持ちはわかる。教師も人間だ。年若な生徒に、思いを傾けても不思議ではない。それと教師の適性とは別問題だろう)

 次に、坂口はミナコに、自作の小説を読んでもらおうと思った。校内の作文コンクールで、一年生の最優秀と評価されたミナコの作品に刺激を受けたのだ。ミナコを失った空虚感も埋めたかった。自分にも書ける、書きたい! という叫びが湧き起こり、それは止めることができず、生活の中心を書くことに置いて没頭した。そうしてできあがった約80枚の短編。詳細は記されないが、『埋もれ木』と題された作品は、次のような内容である。

「『わたし』には、同性の恋人がいて、肉体の交わりを頻繁に持つ」

 かつて冬野を失い、今またミナコを失った坂口の渇きが、書かせた小説であったろう。

 坂口はミナコを図書館で待ち伏せ、喫茶店に誘って眼の前で、小説を読んでほしいという。ミナコには苦痛だが、それを強いること自体が坂口の気持ち、ミナコへの思いなのだから、止めようはない。果たして--。

「つまらない」

 言葉にはしなかったが、ミナコはそうとしか思えなかった。その気配は全身にあらわれ、坂口も察した。

 以下、ミナコが抱いた感想の断片。

「坂口の小説は、実に端正な日本語で書かれ、乱れというものがどこにもなかった」

「坂口の文章は坂口に似ていた。真面目で純粋で余裕がなくて。そうしてミナコ自身にも似ていた」

「坂口の文章は、不思議だった。真面目に書いてあるのに希薄なのだ。一行、一行がとても軽い」

「先生の小説には筋しかない。筋のまわりにあってしかるべきものが、あまりにもなくて骨だけである」

 さらにミナコは、小説の骨を、坂口の骨だと思い、坂口の寂しさが自分の骨にしみいってくると思う。

 13歳の少女に、すべてを見透かされた大人の女性。子どもとは、自分こそ何もないのに、大人を見透かすものである。そして、大人に人生の引導を渡す。

 坂口はミナコによって、ものを創造する力のなさを思い知らされる。文章は書ける。国語の先生だから。しかしそれは、ただの形。体裁だけ整えた、小説の見本。書きたい、書けるという衝動に突き動かされ、寝食を忘れて取り組んでさえ、子どもに「つまらない」と思われてしまう。

 小池昌代が、坂口に詩ではなく小説を書かせた理由はわからない。登場人物に朗読会を開かせたり、詩についての考えを述べさせてきたのだから、坂口は詩を書くべきだったと思う。そして、ミナコに「つまらない」詩だと思わせればよかった。

 意地の悪い見方かもしれないが、詩との決定的な別れは、保留されたかに見える。つまり小池昌代は、自分にとって本来の表現であり、大切な詩ではなく、小説を捨てさせた。坂口を詩と格闘させなかった。それは小池にとって、小説が選ばれたものだから。詩は、選ぶ前に彼女自身だったから。--もちろん、これは推測である。そして推測が当たっていれば、小池は初めに書いたように、詩を素材として客観視しなかったことになる。

 では、人間は書けているのか?

 判断を保留したい。

『わたしたちはまだ、その場所を知らない』に、甘さはあると思う。しかしそれは、許される範囲だ。中学を舞台に、未来のある女子生徒と、未来のない女性教師を描く。乗り越える存在と、乗り越えられる存在。両者を軸に設定された物語に、甘さが匂わないはずがない。小池昌代は、どちらにも感情を移入できる。つまり自分を投影できる。詩を突き放し、自分をも突き放すなど、めったにできるものではない。甘さが小説の味になる場合もあるのだ。そして、私は男性である。女性に対し、決定的には辛くなれない。女性読者にこそ、判断をゆだねよう。

 わたしたちはまだ、その場所を知らない--

 ミナコも坂口も、曲がり角にいる。自分たちが行ける場所、いる場所を知らない。角を曲がれば、あるいは見えるだろうか?

 ミナコが坂口の曲がり角に立つのは、まだ先のこと。曲がれば坂口のような人生しかないとしたら、嫌だろう。坂口にはミナコの姿が見えているのに、手は届かない。あの、まっさらな才能がうらやましい。しかし人生にやり直しはきかないし、やり直しても、自分は結局、自分だったという残酷な事実を受け容れるしかないはずだ。

 判断は保留したが、小池昌代が私に、さまざまなことを考えさせてくたという事実は、確かに記しておきたい。

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2010.08.11  |  CULTURE
COLUMNIST

木部与巴仁

詩人

「FIGARO JAPON」本誌書評欄などに執筆。作曲家、演奏家とともに、“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を運営。2012年3月(月)、すみだトリフォニー小ホールの「日本音楽舞踊会議」演奏会に出演予定。5月13日(日)、第15回「トロッタの会」を早稲田奉仕園スコットホールにて開催予定。隔週刊で「詩の通信VI」を発行中。http://torotta.blogspot.com/

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