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モダン・ホラーの巨匠の伝説的名作。スティーヴン・キング『呪われた町』(上・下)

2011.12.16

モダン・ホラーの巨匠の伝説的名作。
スティーヴン・キング『呪われた町』(上・下)

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 スティーヴン・キングは、現代において、多くの人々に憧れをもって受け入れ
られる有数の作家だ。生きることに苦しむ人は多い。仕事の目的と人生の目的が
一致しないから。しかしキングは、書くために生きている。書くことが生きるこ
とに結びつき、逆もまたしかり。その上で、彼は金銭的に豊かになった。豪勢な
家を手に入れた。書く道具として最新のコンピュータを買える。うらやまし
い。120万ドルの私費を投じ、少年野球のための球場さえ建てた。書いて生き
て、裕福になったからできること。少年野球団のほとんどの家族は、そうしたい
気持ちはキングに勝るとも劣るまいが、それだけのお金を出せない。私はうらや
んでいるが、とりたてて裕福でありたいとは思わない。キングでさえ、金持ちに
なろうとして書き始めたのではないだろう。それはあくまで結果。人生の第一義
に書くことがあり、離れて九十九義くらいに金銭的豊かさへの希求があったと信
じる。
『呪われた町』(原題は'SALEM'S LOT/セイラムズ・ロット)は、スティーヴ
ン・キングの第二長編である。その上下巻が改訂新版文庫として刊行された。
 アメリカ合衆国メイン州の片田舎、人口1300人あまりのセイラムズ・ロット
(正しくはジェルーサレムズ・ロット、最も縮めてザ・ロット)に、吸血鬼が
やって来る。高台に立つ古屋敷、マーステン館を買い取って拠点にし、住人の生
き血を吸おうとする。吸われた者は吸血鬼となり、新たな獲物を求めて夜な夜な
町をさまよい歩く。1300人しかいないから、全住民が吸血鬼と化すのは時間の問
題だ。セイラムズ・ロットに生まれ、今は町を出て作家になった主人公ベン・ミ
アーズが、ふるさとで吸血鬼と対決する。吸血鬼にならずに残ったわずかな同志
と、力を合わせて。しかし、ひとり、またひとりと......。
 発表されたのは1975年。1947年生まれのキング、32歳の年の作品である。前年
の1974年には、デビュー作となる第一長編『キャリー』が発表されていた。狂信
的キリスト教徒の母親に苦しめられ、同級生にいじめ抜かれる女子高校生キャ
リーが、その超能力で憎む対象物を焼き尽くす。薄給の高校教師で、トレイラー
ハウスに住みながら子どものミルク代にもことかくキングだったが、『キャ
リー』のペーパーバック権が40万ドルという高額で売れた(マリオ・プーゾの
『ゴッドファーザー』が45万ドルだったという)。教師を辞めて家を買い、執筆
に専念することができるようになった。『呪われた町』刊行の翌1976年には、ブ
ライアン・デ・パルマ監督による映画版『キャリー』が公開され、1977年には第
三長編『シャイニング』を刊行。1980年にスタンリー・キューブリック監督作品
で広く知られることになる映画の原作だった。やはり1977年には別人名義の長編
『ハイスクール・パニック』を、続く1978年には第一短編集『深夜勤務』を刊
行。長すぎたのでカットを余儀なくされたが、長編『ザ・スタンド』も発表し
た。次々に、彼は書くことで自分の人生を形にしてゆく。生きることで、書くこ
とを形にしてゆく。

 アメリカの田舎町に吸血鬼が現われたらどうなる?
 あらゆる小説には仮定があるが、『呪われた町』のそれは、実に単純で素朴
だ。その方がいい。読者の想像力が高まる。過剰に説明されるうち、想像力はし
ぼんでしまう。
 吸血鬼といえば、ドラキュラ伯爵である。15世紀、ルーマニアのトランシル
ヴァニアに実在した王族、ヴラド三世の通称だが、本当に血を吸っていたのでは
ない。性格に異常なところはあったが、オスマン帝国に抵抗し続けた、郷土の英
雄であったらしい。その名を高からしめたのは、アイルランド人作家、ブラム・
ストーカーによる小説『吸血鬼ドラキュラ』だ。さらにアメリカ映画『魔人ドラ
キュラ』で印象は決定的となる。夜会服に黒いマントを羽織り、時代がかった所
作と荘厳な台詞回しで登場する伯爵の印象は、映画で主役を演じたハンガリー出
身の役者、ベラ・ルゴシによるところが大きい。小説のドラキュラは、痩せ衰え
た老人として登場する。キングは、その小説版に自作を重ねることで、『呪われ
た町』を完成させた。
『吸血鬼ドラキュラ』は、ドラキュラが新たな血を求めてロンドン移住を企て、
ロンドン市内に屋敷を購入しようとする場面から始まる。そのために雇われた若
手弁理士ジョナサン・ハーカーと妻のミナ・ハーカー(旧姓マリー)が、ドラ
キュラに立ち向かう主人公、狂言回しの役割を受け持つ。『呪われた町』にも、
セイラムズ・ロットに移住しようとした吸血鬼が、手先を使って不動産屋に物件
をあたらせる場面が描かれた。吸血鬼は本質的に死者であり夜行性だから、昼間
に家屋敷を探すなどということはできない。
 キングは、吸血鬼と対決する役回りを、作家のベン・ミアーズに負わせた。ベ
ンの同志として、ホラーものの小説や映画に詳しい少年マーク・ペトリーを登場
させ、大人顔負けの活躍をさせるのはキングならではの工夫だ。『吸血鬼ドラ
キュラ』に登場する、母親と二人暮らしで吸血鬼にされてしまう女性ルーシー
は、『呪われた町』ではベンの恋人、母親とのいさかいが絶えないスーザンにあ
たる。『吸血鬼ドラキュラ』で、吸血鬼に詳しいアムステルダム大学のヴァン・
ヘルシング教授、弟子の精神病院長ジャック・セワードは、『呪われた町』では
ハイスクール教師のマシュー・バーク、医師のジミー・コディにあたるだろう
か。
 十字架に弱く、太陽光線に弱く、杭を心臓に打たれると致命傷になる。人を襲
おうとしても、初めての家では住人に招かれなければ入れない。しかし視線の魔
力で人を自在に操ることができる(だから人は、彼らの目を見なければいい)。
このような吸血鬼の特徴もキングは受け継いだ。『吸血鬼ドラキュラ』や、映画
の『魔人ドラキュラ』を前提にせず、オリジナルな吸血鬼物語を書くのであれ
ば、受け継がなくていいことである。
 例えば、欧米のキリスト教徒にとって十字架は絶対のシンボルだろうし、だか
ら吸血鬼も弱いのだが、キリスト教徒以外の者にとっては絶対ではない。ドラ
キュラは、おそらく遠い過去、キリスト教によって調伏されたことがあるのだろ
う。しかしキリスト教と無縁の吸血鬼もいるはずで、例えば日本に吸血鬼がいれ
ば、十字架など何の役にも立たない(それでも私は子どもの頃、吸血鬼が来ても
いいように、自作の十字架を作って布団に忍ばせておいたものだが)。キング
は、あえてブラム・ストーカーによる吸血鬼の設定を生かした。先人への敬意か
らか。先行作へのオマージュとしてか。読者の理解を助けるためか。約束事の世
界を楽しむためか。そのすべてが理由だろうが、だからホラーに詳しい少年は活
躍できた。ホラーに関心がなく、吸血鬼に対する知識がない大人たちは、『呪わ
れた町』ではあえなく犠牲者となる。小説や映画に詳しいほど吸血鬼に対抗でき
るということは、(キングの描く)吸血鬼が作り事の世界に生きているという証
拠である。その事実を頭において読んでゆくと、ホラー小説『呪われた町』は
『吸血鬼ドラキュラ』のキング版、現代的視点による模倣、パロディとすら読
め、怖さが楽しさに変じて来る。

 私なりのスティーヴン・キングの読み方に触れておきたい。
 キングは作家である。書くことで生きている。当然、書くこと、作家であるこ
とに関心がある。作家としての自分に関心があるはずだ。彼の筆になる作家像
は、スティーヴン・キング自身であろう。私もまた書く者として、キング作品に
登場する作家たちに興味を持っている。
「男はロード・アイランド州セントラル・フォールズに到着する前に、あちこち
のモーテルの部屋で一篇の小説のあらすじを書きあげて、それを自分のエージェ
ントあてに郵送した。彼は百万年の昔、まだ暗黒の闇が彼の人生をおおっていな
かったころ、さほどはなばなしくはないがまずまずの成功をおさめた小説家だっ
た」
 引用するのはすべて、『呪われた町』の主人公、ベン・ミアーズをめぐる描写
である。作家として立とうと思い、デビュー作『キャリー』に続いて二作目の
『呪われた町』を書こうとしているキングの姿がベンに重なる。
「エージェントは小説のあらすじを彼の最近作の出版社に持ちこんだ。出版社は
儀礼的な関心を示しはしたが、出版契約金まで払う気はなさそうだった。『プ
リーズ』と『サンキュー』という言葉はまだいくら使っても無料(ただ)なのだ
と、男はエージェントからの手紙を破りすてながら少年に語った」
「『小説家はみな自分の作品について話すのが好きなんだ。僕もときどき夜ベッ
ドに横になって、自分を対象にしたプレイボーイ・インタビューをでっちあげた
りする。時間の無駄だけどね』」
「三階では小説家のタイプライターの音が切れ目なしに聞こえていた。彼の真向
いの部屋を借りているヴィニー・アプショーの話では、毎朝九時に始めて正午ま
で休みなしに続け、午後は三時から六時まで仕事をして、そのうえ夜も九時から
十二時までタイプを打ち続けるのだという」
「『いま執筆に脂が乗っているところなんです』と、彼はいった。『今日はあと
六ページ書かなきゃならないんですよ。今夜酔っぱらっちゃうと、明日の朝、今
日の分を読みかえすこともできませんからね』」
 このようにして、キングは生きて来たのだ。37年前の『キャリー』(74)から
今日まで、キングは書き続けてきた。その間に何度か、自身を重ねた作家の姿を
作中に現わして来た。『シャイニング』(77)では、冬季休業するホテルの管理
人になった作家が、ホテルに取り憑く怨霊に発狂させられる姿を書いた。『スタ
ンド・バイ・ミー』(82)では、今は作家として独り立ちした男が、少年時代の
仲間との旅を回顧する姿を書いた。『ミザリー』(87)では、狂信的なファンに
監禁された作家が、命と引き換えに書くことを求められる姿を書いた。『ダー
ク・ハーフ』(89)では、売れない純文学作家が、別名義で扇情的小説を書いて
ベストセラー作家となり、本意ではない存在を葬ろうとして復讐される姿を書い
た。この他、『トミーノッカーズ』(87)や『秘密の窓、秘密の庭』(90)、
『グリーンマイル』(96)、『骨の袋』(98)、『リーシーの物語』(2006)に
も、作家ないし文章を書こうとする者が現われる。その時々の描写に、作家だか
ら書ける実感を読み取ることができる。作品を通して、キングの素顔に触れられ
る思いだ。そして--、
 励まされもするのである。キングのような世界的ベストセラー作家になろうと
は思わないしなれるはずもないが、遠くメイン州のバンゴアに、たった今も書き
続けている男がいることに。生きるためだけなら、もう一文字も書かなくてすむ
蓄えがあるし、書けという他人の求めなど断ることもできるのにそうはせず、た
だ自分の意志だけで書いている。生きながら、生きようとして、生きるために。
彼の指がコンピュータのキーボードを叩く。叩いて生まれる世界がすべて。その
世界を創るために、彼は明日も生きようとする。書くことと生きることが直結し
ている。
『呪われた町』を書評しようとして、(それが作家を主人公にしているから)久
しぶりで、スティーヴン・キングと書いて生きることについて考えた。これを機
に、考えをさらに深めてゆくつもりだ。

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