2012.02.17
19:南仏の食堂で

モノクロの世界を抜け出て、いきなり原色の別世界へ飛び込んだ気分である。
ニースを縦横に歩く。波打ち際、商店街、山へ向かう道、港を取り巻く細い道、旧市街の路地、広場、丘の上、山の裏側、国定公園、鷲ノ巣状の古い町。新旧、都会と田舎、海と山と。ありとあらゆる種類の風景が同在して、世の中のモザイクを見るようである。たった一カ所にいるだけなのに、多くの土地を次土と旅したようで堪能する。
それにしても、正面から頭上から、溢れるように陽光が降り注ぐ町である。通りを行く人は皆、気のせいか、晴れ晴れとした顔をしている
「お天道様が見ていますよ」と、子供の頃に言われたのを突然、思い出す。
若きマティスのパリ時代の絵を見たことがある。夜なのか朝なのかわからない、どんよりと灰色に沈んだ、重苦しい風景だった。
やがてマティスは、ニースに引っ越してくる。
まるで音を立てて緞帳が上がったかのような絵に変わる。単純明快で明るい色に溢れた絵を見ていると、浜で日光浴をしている気分になる。お天道様の下でくよくよしていてもしかたないでしょう、と絵に言われる。
マティスばかりでなく、シャガール もピカソもコクトー も、元々南仏だったセザンヌも、この地で暮らして楽しくてしかたない、という気分が絵から溢れ出している。
昼食を取ろうと、山合いの村の食堂に入る。天気が良いので屋外の席にどうぞ、と言われる。
洗いざらしの格子柄のテーブルクロスが掛かった卓は、ガタガタと安定の悪い、小さく粗末な木製である。座るとすぐに店の奥から給仕が出てきて、手際よく一枚の白い紙を卓に敷いた。そして、メニューを流れるような口調で言い始めた。聞いてもわからないので、適当なところで遮り、今言った料理をください、と頼む。すると給仕は胸のポケットからペンを抜き、卓の上に被せた紙テーブルクロスに、乱雑な字で注文の料理名を書いた。
店の囲りには冬だというのに名の知れぬ花が咲き、ふと見ると店内には大きな絵が何枚も掛かっている。外の壁には、タイルをはめ込むようにして描かれたものも見える。どの絵も、色と太陽がいっぱいである。黒々とした小難しい絵は、一枚もない。
真っ白な紙に覆われた食卓の上に運ばれてくるのは、どういう料理なのだろう。絵の具を待つ、真っ白のキャンバスのようである。
ふと気づくと、正午の太陽の下には影がない。
2012.02.17 | CULTURE
内田洋子
エッセイスト
著書『ジーノの家』(文藝春秋刊)で第59回(2011年度)日本エッセイスト・クラブ賞、第27回講談社エッセイ賞を受賞。
UNO Associates Inc.代表。
欧州の報道機関、記者、カメラマンをネットワーク化してマスメディア向け情報を配信。
Title Photo:2011©Julie Pisu